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    目覚め

     開け放たれた窓から暖かな風が入ってくる。
     磯の匂いとまざって微かに漂う花の香り。

       波の音……。
     深く深呼吸する度、今まで凍っていた肺の細胞一つ一つが溶けて広がっていくような感覚が身体に染み込んでいく。
     彼はどうにか身体を起こした。
     体は嫌に動きが鈍く、思うように力が入らなかった。
     右腕は何本も点滴で繋がれているが、どのパックも空になっている。
     改めて周囲を見渡すと、そこは子供部屋のようだった。
     パッチワーク柄のクッションにベッドカバー。
     部屋を埋め尽くす家具にはどれも古めかしさを感じた。
     出窓に置かれた花瓶に、花の代わりに白い旗が挿されている。

     「ようこそ150年後の世界へ テトゥル世界の果てツアー」。

     点滴を引き抜き、床に足を下ろす。
     その時、彼は強い動悸を感じた。
     ふと、姿見に自分が写る。
     ゼエゼエと肩を上下する金髪の青年。
     眠りにつく前と何も変わらない自分の姿。

    「……俺は」

     安堵すると同時に、「自分」にまつわる様々な記憶が蘇る。
     彼という人物を形成してきたこれまでの記憶の渦。
     肺の細胞が空気を得て広がっていくのと同じだ。
     萎んでいた脳神経の一つ一つが発火し、つながれ、夢と

    そうでない現実との識別が瞬時に行われていく。
     その感覚はさながらロケットに乗って長い時間をさかのぼるようだった。
     彼はしばらく蹲っていた。
     実際、その感覚が呼び覚まされ統合されるには、数分間の葛藤があった。
     長い時間旅行をした気分、それがこの感覚なのだろう。
     冷凍睡眠が溶かれた後、すぐには目覚めなかったのだ。

     そうだ、冷凍睡眠。
     自分は長い眠りについた。

     筋力が衰える程度の時間は眠ったままだったのだろう。
     だが、それほど長い時間が経ってしまったわけではない。

     ……外は、あの原子炉衛星は、どうなっただろう。

     原子炉衛生の落下と戦争の始まりは、ほぼ同時期だった。
     彼は戦争から逃れるために田舎町、テトゥルのシェルターに入った。
     しかし彼にとっての「昨日」とは、シェルターに避難するためにテトゥルへ訪れた記憶の事だ。
     ここへ入った「昨日」と今この瞬間である今日という日は、こうして落ち着いてみると感覚的に似ている事がわかる。
     だが、その感覚を越えて、それと同時に長い時間が経ったという事も同じように理解できた。
     旗に書いてある事が事実ならば、ここは150年後だ。
     気分は落ち着いている。
     過去の自分を苛み続けていたあの焦燥感や猛烈な倦怠感も、今は頭が忘れているようだ。

     窓の外に見えるのは静かな海。
     ここは漁村だったはずだが、暫く耳を澄ましても漁船も汽笛の音も全く聞こえてこない。

       人の気配が無い。

       本当に150年経った事を前提に考えてみる。
     カレンダーには今現在が星歴100年の5月である事を示されている。

      「星歴」。

       それは置いておくとして一年を通して寒いはずの気候も、150年の間に変化してしまったというのだろうか。
     ただ、亜熱帯地帯で暮らして居た経験から、忘れかけた懐かしい陽気のように感じる。

       そう。

       そんな国で暮らした事があるという記憶もたった今呼び起こされたものだ。

       彼は視線を少し落とした。
     潮で傷んだ出窓の木枠には蝋燭を立てた跡が4つ残っている。
     山信仰だろう。

       窓辺に四つの蝋燭を立て、霊山に見立て祈るのだ。
     ならばあの寺院も健在ということだろうか。
     と、花瓶の下に藁半紙がしいてあるのが目に入った。

    『おはようシュンリ。ここは150年後のテトゥルだよ。
     停電しちゃったみたいなので、北のシェルターの様子を見に行ってきます。
     着替えはチェストに入っているよ。お昼ご飯には戻るね。 ミオより』

     時計は午後3時を過ぎている。


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    posted by 小説あらすじ |