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    1-1.ミオ

    1章

    1-1.ミオ


     一ヶ月後には、中央から何人も人が来ることになっている。
     テトゥルシェルターの副管理人、ミオ・テトゥル。
     ミオは片手に携帯テレビ電話端末を持ちながら、備品のチェックを念入りに行っていた。

     数か月前からテトゥルに戻って暮らすようになっていた管理人のヤールが、所用で中央へ召喚されてから二週間が経っている。


    「大丈夫です。私、これまでも結構一人でやっていけてたし、心配しないでお仕事頑張ってよ」
     ミオは意気揚々とモニタの中年男に笑いかけた。
     「それに見てっ。ピヤトスの塩漬け、いい具合になってるでしょ? 絶対みんな、気に入ると思う」
     大きな瓶の中に5、6センチ程度の白い幼虫がたっぷりと詰められている。
     「古代人は幼虫なんて食べないよ」
     乱れがちな映像と音声。
     ヤールはお決まりのジャケットを着ている。
     「だけどっ。虫食文化は100年の歴史がありまして」
     「彼らが眠りについたのは何年前だ? 彼らの時代にはかすっていないという事だよ」
     ヤールは苦笑した。
     「でも今は食糧難とかじゃないのに普通だし、受け入れてもらえるかも」
     「そうだな」
     もたれ掛かった椅子がギイ、という。
     彼女が中央での「義務教育」を終え故郷に戻ってから三年。
     しばらく待てばシェルターで眠る人々の目覚めは許されると、昔からそればかりを楽しみにしていた。
     それはミオや管理人のヤールはもちろん、その先代の管理人たちも同じように抱いていた想いだった。
     ミオはシェルターで眠る人々の事を「眠りの城の住人」と呼んでいる。
     住人たちをコールドスリープから目覚めさせる事については、半世紀もの間様々な議論が繰り広げられていた。
     ようやくそれらの話が収まってきたのが3年前の話だ。
     それから中央のシェルターの管轄組織から科学者達が派遣され、ここで眠っている99パーセントの
     人間は死んでいるとの見解を下したのだった。
     「一昨日はキリ婆さんの3回忌だったね。そちらへは参ったのかな」
     「うん。もちろんお供えも」
     「よかった。それにしてもいつの間にそんな沢山の虫を育てたんだ」
     「実は、驚かそうと思って準備してたんです。これでお酒をやると、美味しいと思うの」
     「あぁ。楽しみだ。だけど君には10年早い」
     ヤールは少し笑った。
     「十年も待たないよっ。あと数年経ったら私も一緒に飲める年になりますよっ」
     部屋の電気がチカチカと点滅する。
     「この時間からか。電圧不足がひどくなっているな」
     ヤールが言った。
     「どうにかならないかなー。こないだなんて、シャワー中に真っ暗になって凄く怖かったんだよ」
     「そうか、シェルターのシャワーを使うのはやめた方がいいかもしれないな」
     ヤールがうなる。

    「でも、そこら中お掃除してたらすぐに汗だくになっちゃうんだもん。使えないと困るよ」
     「極力節電をしているはずだし、それ以上は出来ないさ。ここには機械に詳しい技術者も
     眠っている。うちの設備もガタついてるし、良くしてほしいものだな」
     「えー。みんな目覚めた後はこんな場所、すぐに用済みになっちゃうよ」
     「どうかな。あの胡散臭い調査の後、中央が立てたのは全員分の死体袋の小計だったというくらいだ。
     みんな生きていたら受け入れ場所も無いのだから、しばらくはここで暮らすようかもしれないぞ」
     当時の優れた技術だけが、衰え途切れながら受け継がれてきている。
     彼らを目覚めさせようとの結論に至った理由は、その衰退しきった文明を呼び覚まそうという目論見だけではない。
     そこには深刻な人口減少問題があった。
     北の果てに落ちた原子炉衛星が人類の生態系に大きな異変をもたらし、生殖能力を徐々に失っていた。
     病気にもかかりやすくなり、それは世代を経るごとに発症が早く、症状も重くなるという表現促進現象がみとめられている。
     眠りの城の住人達は、人類がその力を失う以前の人間だ。
     仮に99%の人間が死んでいたとしても、彼らの体から得られる事は大きいという。
     「それにミオ。私の前で無理して笑うことは無い」
     ヤールは独り言のように言った。
     全て悟っているよと言いたげて、それが嫌だとミオはいつも思っていた。
     作り笑いなんかではない。
     無理して笑えるほど自分は大人ではない。
     「ううん、私、絶対誰か出てきてくれるって、本気で思ってるよ。この間お話したツアーフラッグも出来上がったの」
     「世界の果てツアーだろ? まさにテトゥルはそんな場所だよな。どれ、見せてご覧」
     ミオは古着の布に刺繍を施した旗をヤールに見せた。

     ようこそ150年後の世界へ テトゥル世界の果てツアー

     「見える? ちょっとこの時間は画像が乱れるから……」
     ミオはモニターの前で旗をくるくる回す。
     「見えているよ。上手に出来ている。きっと、中央の連中もみんな笑ってくれる」
     ミオは意図的に自分の顔からカメラを逸らした。
     「みんな」という響きに、ついに現実味を感じ、涙腺が緩んだ。
     来る事になっているのは、住人達の健康状態を調べる医師団ではなく、生死を確認しにくる中央管理官だ。
     ヤールは既にそのことを思って言っている。

     ◆

     ヤールのモニターには、ミオの顔ではなく、0−0エリアの番号が映っている。

     一ヶ月後に迫った『解凍日』ではまず、技術者関係者の多い最下層の0エリアの解凍を行う予定だ。
     今、ミオの居るエリア0、制御室のある一番奥の部屋、そこには二週間前まで彼女のお気に入りが眠っていた。
     シュンリという、彫刻のような美しい青年。
     テトゥルシェルターの責任者、ロマノフ・ランドスタイナーの息子。
     しかし責任者で彼の父親のロマノフはここには居ない。
     150年前の時代に止まりそこで没したのだ。
     かなりの老体であった事などからシェルターでの避難は断念し、息子に未来を委ねたのかもしれないという事だ。
     彼の身内は存在せず本来関係者が眠っているはずだった部屋にはなぜか5人分の空きがあった。
     その後の責任を担うはずの人物が居なかったのだ。
     長らくそれは、ミオがこのシェルターの謎に魅せられた理由の一つだった。
     しかしそれも時の経ちすぎた今、語り尽くされた謎に過ぎなかった。
     かつては全国の資料が寄せられ当時の状況を詳細に掴もうとする動きもあったが、そのようなブームも薄れていった。 

     十年前までこのシェルターは寺院によって管理されていた。

     シェルターに偉大な宗教家が眠っているとか、冷凍睡眠者は即身仏だなどと、今は廃れてしまった「シビラ教」という宗派がその考えを触れ回っていたのだ。

    文化人類学者で、古代人の研究をしていたヤールが、

     テトゥルシェルターが国営となったのは、シェルターと宗教が関係ないとヤールに証明されてからだ。

    それからというものシェルターの管理人は中央から歴史に関心が強い者が配属され、シェルターの機器類の管理や掃除を行うために存在して

    いた。

     ヤールが書いた古代人についての本は都市部でベストセラーとなった。大勢が古代人たちの冷凍解除を望んだのだ。

     冷凍睡眠者たちの安否の確認方法や冷凍から目覚めさせるための

    手続きなどに対しては、慎重を要した。

     そのあいだにブームも去り、ここに人員を割くよりも都市部で調査と研究をというスタンスとなり、シェルター自体を守る人間は常に一人いればいいということになってしまったのだ。


    「そろそろ切ろうか?」
     ヤールが言った。
     モニタには0エリアの壁が映ったままだ。
     ヤールは息をつき、いつもの優しい笑顔を向けた。
     「えっ。もう少し話をしていようよ」
     ミオはハッと我にかえったように携帯電話を正面に向けた。
     「そうかい? だけど今日は月が無いから、帰りも早い方がいいだろう。それに、彼も家で待っているんだから」
     「……そうだよね」
     ミオの少し沈んだ声。
     試験的にシュンリのコールドスリープを解除する事の許可が出たのが二週間前だった。
     そう、彼は蘇生した。
     だが、まだ目覚めていない。
     植物状態で生きているだけだ。
     それからたった二週間、彼は中央から派遣された医療チームの管理下にあった。
     彼らは思いつくだけの処置をしたという。
     結局チームはやるだけ無駄と判断し、身寄りの無い彼をこの地で療養させるようにとヤールとミオに託した。
     それが中央が調査の結果出した「死んでいる」という事と同じ事なのか、そもそも調査が杜撰だったのか、
     それともシュンリが息を吹き返した事が特別だったのか、もう暫くしたら目覚めるのか、わからない。
     予算の問題も大きく医療班は先週から撤退し、彼の世話の全てをミオは引き受けていた。
     「今朝はどうだった?」
     「……はい。様子も変わっていません」
     「もうすぐ私も帰る。大丈夫だ」
     彼の具合によってこれから解凍の日取りが変わるかもしれない。
     だが、暇なシェルターの管理人生活に、長年お気に入りだった彼との生活が始まって、ミオは正直浮かれていた。
     本当はシュンリが待つ自分の家に、今すぐにでも帰りたい。
     「今は彼の事だけは守ってやると、それだけ思っていればいい。私に言われても説得力は無いかもしれないが」
     ヤールは苦笑した。
     ヤールはミオがここで管理人の見習いを始めた三年前には既に病の最中にあった。
     それがよくなり、ヤールは暫くシェルターの管理人の仕事を離れ、別の技術職をしていたが
     数か月前からミオと暮らすようになっていた。
     真面目なヤールが孤独なこの土地で、一人考え込み気を病んでしまう事は頷ける話だとミオは思った。
     だからヤールはこうして自分を気遣って頻繁に通信料の掛かるテレビ電話で気にかけている。
     「私、お父さんと電話するのが楽しい」
     「お父さん?」
     ヤールは落胆とも驚きとも言えないきょとんとした表情で答えた。
     彼は今年で43才、ミオからしてみたら十分そのくらいの年齢だ。
     「ヤールさんって、なんだか大きくて、包容力っていうか、そんなイメージで。だめ?」
     ミオは撤回するように両手を突き出し手を振った。
     おどけてみせたが、ヤールは一層暗い面持ちで頭を降った。
     「体ばかり大きい癖にこんなになってしまって、情けないよ」
     ヤールは酷く皮肉に笑って見せた。
     「情けなくありません」
     ミオは口調を強めた。
     「そうやって考え込んじゃうのは、優しいからだよ。その感じ、私もわかる。私もヤールさんが
     居なくて寂しかった。私なんかが偉そうな事言ってるのはわかるけど本当に私でも、そう思う」
     ヤールは言葉を詰まらせ、「そうか」と言った。
     「人って、不思議だよねっ。気持ちだけじゃ強く生きられない……。誰かが居て、その人の中に自分が存在してるって、
     他人の身をもって感じて初めて生きていける、そんな感じがする」
     だんだん小声になる。
     ミオは言っているそばから恥ずかしくなっていった。
     「よく、わからない事言っちゃったかも……ごめんなさい、ヤールさん」
     「君は私なんかより、よっぽど人間らしいよ。そうだね、弱さというより当然の反応だね、感情というものは」
     ヤールは優しい口調でこたえた。
     「私ね、ヤールさん。この三年間、自分が一人だと思ったことなんて無かった。ヤールさんもたまにこうして電話を
     してくれていたし、一ヶ月に一度はトコリから物資を送ってくれる人が居て、話も出来たから。でもこの間までヤールさんと
     暮らして、それでまた居なくなっちゃって凄く寂しくなった」
     「そうかい。だけど君を本当に生かしていたのは、彼だろ。もうキスの一つや二つしたか?」
     ヤールがちゃかして笑う。
     「やだ、だから違うってばっ……、それに意識の無い人にそんな泥棒みたいなこと、出来ないよっ」
     ミオが慌てて顔を真っ赤にするので、ヤールは腹を抱えて笑った。
     恥ずかしくなりながらも、最近声を出して笑うようになったヤールの姿が、ミオもうれしいのだった。
     「目を覚まさないし、世話もかかるけどシュンリがうちに居て、私、幸せです。それだけで
     生きている事が楽しいの。だけど、このまま本当にシュンリ、目覚まさないのかな。ヤールさんと一緒に来た
     お医者さんも、なんで一週間で見限っちゃったんだろう。もうちょっと色々頑張ってくれたら、もしかしたら……」
     モニタの向こうでヤールが息をつく。
     「仕方ないよ。大分昔の話だが、責任者が目覚めない限りは他の人間も目覚めさせられないと、そういう決まりを作って
     しまっていたのだからね、それで今回の解凍が決まっただけ凄い話だ」
     「でもそれは……みんなが死んでるとわかったから決まった事ですよね。シェルターの管理費も無くなって。
     ぐずぐずしていなかったら、もっと早く出してあげて居ればこんな事にはならなかったはずなのに」
     ヤールは再びため息をついた。
     「ああ。だけどいつの時代からか宗教がシェルターにかかわるようになっていて、10年くらい前までは、
     シビラ教とか色々とうるさかったんだよ。あの浜辺にも何日間か居座られて困ったもんだった。その連中を
     どうにかするのも管理人の仕事だった」
     宗教の起源についてはわからない。
     ただ、このシェルターを寺院が管理している時代があったということは聞いている。
     ヤールは詳しそうだが、ミオは一度も彼らの事を聞いたことは無かった。
     どちらにせよ昔から国には余裕が無く、シェルターを維持する余裕さえ無くなっている。
     今回解凍が決まったのも、3年前の調査で住人達が死んでいるとわかったからだ。
     彼らの面倒を見る余裕はもう無い。
     あれだけうるさかったというシビラ教の反対派の波さえ今や衰えている。
     中央まで繋がっていた国道が10年前から水没して交通もかなり不便になった事が大きな理由だと言うが。
     ろくに周知もされていない。シュンリをテスト解凍した事は最寄りの街であるトコリの役人たちさえ知らない。
     ヤールが苦々しい表情に戻っている。
     これ以上の話題はいくらヤールと自分の間でも、駄目だ。
     だがここの所ミオ自身ナーバスになっていることも事実だ。
     その話題を何度か口にしてしまった。
     ヤールが内心辟易しながらも付き合ってくれている事はわかっている。
     「……せめて、トコリの人たちくらい、シュンリが生きてるって知っておいてもらっても、いいと思うの」
     「それは絶対にやめておきなさい。小さな町だが騒ぎになれば大変だ」
     ヤールが静かに告げる。
     そんな事は自分の判断でしたりしないのに。
     ミオは内心毒づき、言葉を返さなかった。
     「役所の人間には伝える予定だ。もしも彼が解凍日までに目覚めてくれたら、他に彼と同じ状態で生存している
     者も診ていこうという事になるかもしれないしね」
     ヤールは少し優しい口調で言った。
     「そろそろ時間だな。松明が燃え尽きたらまっすぐ家に帰りなさい」
     「はい、お父さんおやすみなさい……」
     ミオは通話終了のボタンを押した。
     プツンという音と共に、画面に少し困ったような自分の顔が映り込む。

     (私、こんな顔をしてお父さんと話してたんだ)

     ミオは携帯電話をテーブルに置いた。
     突如訪れた静寂。
     その静けさに慣れると、呼吸をするような機械の稼動音や換気扇の音が聞こえてくるようになる。
     ミオは暫く椅子にもたれていた。
     シェルターの管理をするということは、すなわち孤独を意味する。
     今やここは本物の死体安置所となりつつある。

     ◆

     ミオは部屋を出て、いつもの管理用エレベーターで地上へ戻った。
     生温かい潮風。
     目の前に広がる黒い海。
     陸と海の境界が曖昧になり、全てが飲み込まれてしまいそうなそんな時間。
     夜は人を襲うハミ(蛇)が出る。
     ミオは懐中電灯を持ち、丘を降りていく。 
     拳銃も護身用に必帯だ。
     中央に居た時、射撃の実習もあったが、ここへ来て一度も撃ったことはない。
     テトゥルを訪れる人間は居ないかった。
     反対派の宗教関係の人たちだって一度も見かけない。
     最近国道が水没し、山賊が出るという旧国道を使う事になってからはますます人も寄り付かなくなった。
     はるか昔、テトゥルはウイスキーの街だった。
     年間、どれくらいの人がこの地でウイスキーを買って行ったのだろう。
     今も設備は当時のままだ。
     もしも住人達の誰かがここを気に入れば、ウイスキー工場は再稼働出来るかもしれない。
     それも今では非現実的となってしまった夢の一つだった。
     この三年の間に、ミオが思い浮かべていた夢の殆どが打ち砕かれてしまった。
     町も工場も無くなれば、原野に戻るだけだ。
     住人達の目覚めに夢を馳せていた想いも、ここに人が居たという痕跡も無くなる。

     ◆

     丘をおりた頃には、あたりは真っ暗になっていた。
     強くなった潮風が髪を揺らす。
     少し歩いた所に、かつてテトゥルのフォルメンテーラとまで呼ばれた美しい浜辺がある。
     エテルノ・プラージャ(永遠の浜辺)。
     ミオは虫除けの香を炊き、松明に明かりを灯した。
     エテルノを訪れる者が滅多に居ないというだけで、この浜辺は美しいままだ。
     否、誰の目に触れることが無いからから美しいのだ。
     テトゥルに限らず、世界中のあちこちはこうして、人間で栄える前の原始の自然の美しさに近づいている。
     松明を灯すことにもはや意味は無い。
     毎日制服に着替え公務員ネクタイを締める事と同じ。
     この原野に戻りつつある自然の中、「人間」として住むことを許されている者としての一握りの矜持。
     船は通らない。
     少なくとも中央での仕事に戻ったヤールの代わりに

    ミオが一人で管理人を任されるようになった三年間は一度も。

     炎がゆらゆらと波に輝く。
     世界中のあちこちで、色々なものが萎み、消えつつある。

     あの絶望的な報告を受けたのは、今より寒かった春先のころだった。
     中央から派遣されてきた科学者達は数時間の間に簡単な書類だけを渡して帰って行った。
     99%の人間は死んでいると。
     だが、そんな事は無いと自分の帰りを待つ彼は証明している。
     150年も眠っていたのだ。
     そこから本当の目覚めを迎えるのに時間がかかっているだけかもしれない。
     ミオはツアーフラッグを海に投げ捨てたくなるような衝動を抑え、胸で抱きしめた。
     この気持ちがいつか諦めに変わったとしても、自分はこのエテルノで生きつづけよう。

     香の煙が時々ふわりと視界をかすめる。
     亡霊が現れるにはちょうどいい時間だ。
     海と空の境界はとうに無くなっている。

     ミオを悩ませる亡霊の夢。
     だが、いつの間にか夢をみていてもそれは夢だと気付くようになっていた。
     ミオは足をだらんと橋の外に無げだし、両手を広げ寝転がった。
     虫除けの香には、どこか頭を麻痺させる成分があるらしい。
     時々潮とともに、独特の薬草の香が鼻腔をつき、ぼんやりと心地よい痺れをもたらすのだ。
     それとあいまって、月が無い夜は星がきれいで、より感傷的な気分にさせる。
     辛い夢を見るにはぴったりだ。

     「……南十字を見てみたい」

     北半球にあるこの土地からは南十字は見ることは出来ない。
     今、南の人々はどうなっているのだろう?
     とうに沈んだ本物のフォルメンテーラ、自分が生まれる前に存在したという夢のテーマパーク。
     漠然とした疑問。
     そんな事を考えては泣き、海に涙を零していた。
     この一滴一滴が、波音を作っている。
     そして海面の上昇を。

     ここに自分が居なくても、波は打ちつづける。
     星だって同じだ。
     今、頭上に瞬く星を、たまたま空を見上げた自分が見ている。
     見上げる事が無かったら一生誰にも届かなかったはずの何億年も昔の輝き。

     「ガイドさんも、おどろ?」
     後ろを振り返ると男の子が居た。
     小さな手を差し伸べている。
     「どこで踊るの? 月も無くてこんなに真っ暗なのに」
     「いいんだよ、今日はお祭りだ。キャンプファイアがあるよ。オクラホマは踊れる?」
     いつの間にか、太鼓の音が響いている。
     それに合わせて笛や弦楽器の音色が奏でられる。
     男の子の後ろには、炎を囲み踊る100人の亡霊が居た。
     「当たり前じゃない。だって私、ガイドさんなんだから。歌も歌えるよ」


      再び目を開いた時、私の目の前に広がるのが
     朽ち果て色を失った世界だとしても
     私はそれが夢だという事に気づかないだろう

     壊れた電信機が叩く音は風音に飲まれ
     虚しさの余韻だけが滞り
     やがてその空間を蝶が舞う

     私はどこに居るの

     幾つもの夜を共に過ごしただろう
     あなたはシグナルを送るのをやめた
     優しく撫であったその時間は確かに現実だった

     それは眩しすぎる碧色、延々と続く共依存
     あの時あなたがどんな言葉を
     刻んでいたのか私にはもうわからない

     電信機の音はもう聞こえない

     ヒマワリ畑を抜け門を潜ったら
     電信機の音はもう届かない

     たどり着くならまだ青く、若い星がいい
     霧のような空が広がるその大地には小さな島が浮かび
     私はその砂浜で一人踊りつづけるの
     長い、長い一人の時間を



     ミオは松明の灯りが徐々に小さくなっていくのを見守り、そっと桟橋をあとにした。


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