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    2話:彼らの葬式ごっこ
    2話:彼らの葬式ごっこ

     飛行機が遅れ、結局葬儀が終わってからも義父は現れなかった。
     透が遺骨を安置する祭壇のビロードを取り替えている。
     彼らの葬儀はコーデリテのものを簡略化したもので、日本のような通夜は無い。
     家中の戸は朝から開け放たれたまま、風が微かに流れている。
     透は祭壇の脇に燭台を置いた。
     その燭台は四本のキャンドルを挿せるもので、蝋燭を立てると高さが
     全てばらばらになり山を象る。
     透はポケットからライターを取り出し一つつづ火を灯していった。
     中央に置かれた少女の遺影が光に揺らめきだす。
     さっきまであった仰々しい吊り下げ飾りや司祭の為に用意した腰掛けもあっという間に
    片付けられてしまった。
    「片付けすぎて寂しくなっちゃったね」
     透がつぶやく。
     側に居た直哉もミンも言葉を返さなかった。
     司祭も参列も、いつものように申し訳なさ程度に集ったが儀式が終わるとすぐに帰ってしまい
    ここにはもう三人しか残っていない。
     どうしても無骨な調子でしか振る舞えない透を手伝おうとする者は少なかった。
     直哉は落ち着かない様子で透の後ろを歩き回っていたが、今はしがみつくように手を繋いでいる。
     透はその反対側の腕で小さな木箱を抱えていた。
    「義父さん、葬式完璧遅刻になっちゃったからタクシーで帰るって……」
    「飛行機遅れたんでしょ?」
    「うん。……あ、ロッカートさんも一緒に着くらしい。しょうがないから
    帰りに俺の父親の見舞いに寄ってくれるみたいで、着くのは3時過ぎだって。
    墓石もそのくらいだし、それには間に合うみたいだけど」
    「うん」
     直哉は透の手を離すとミンの隣に座った。
     透が木箱の蓋を開けると、そこからミンも見覚えのある陶器の壷が現れた。
     直哉は再び椅子から降りて透のズボンの裾を握った。
    「こんなのユッカじゃないよね」
     直哉の言葉に、透は苦笑した。
    「ユッカだよ」
    「あれはユッカだけど、ユッカじゃないよ……」
     直哉は虚ろな目で言った。
     わかっていないわけではないはずだ。
    「お前にとって、ユッカはなんだったんだ? なんもわからず涎足らして寝てただけじゃん。何してくれたわけ?」
     握られたズボンの裾を払いながら透は直哉を見下ろした。
     直哉は答えなかった。
    「この固い部分が骨。柔らかい部分が肉。死んだら肉、男も女もただの骨だ」
     透は直哉の手首を掴み、皮膚をつねった。
    「痛いよーっ」
    「生きてるからだよ。でも、もうこの儀式もこれでおーしまい」
     直哉は顔をしかめながら首を傾げた。
     透は骨壷を撫でると線香に火をつけた。
    「これ、燃えると文字が出てくるらしいよ。さっき、お花持ってきてくれた人が置いて行った」
     直哉は線香をじっと見つめた。
    「なんて書いてあるの?」
    「南無……なんとか。義父さんを迎えにいくからこれでも見てな」
    「おじいちゃん本当に帰ってくるの?」
    「そうだよ。葬式に来れなかったのは飛行機の所為だって、さっき言っただろ」
     いつか、「葬式ごっこだ」と言ったのは透だっただろうか。
     ミンはぼんやりとしながら、そんな事を思い出していた。
     少しして、それまでおとなしくしていた直哉が泣き出した。
    「透はひどいよ」
     直哉はぎゅっとミンに抱きついた。
    「ゴオーって入っていってばたんって閉められちゃった」
     火葬場で彼の棺桶が炉に滑り込んでいく瞬間。
     何基も並んだ炉、ゴオゴオと燃えるボイラーの音。
     直哉は怖かったのだ。
    「ミンの膝にごろんしていい?」
     ミンは少し笑った。
    「あれ、どうしたの? 怪我したの?」
     直哉がミンの首筋に手を伸ばす。
     その部はじんわりと火照っている。
     いつの間にか赤くなっていたのだ。
    「これあげる」
     直哉は起き上がり、ズボンのポケットから絆創膏を取り出した。
     車のイラストがプリントされている。
    「ううん……」
    「女の子なんだから、治さないと! ミンは僕が守ってあげる。透なんか知らない」
     ミンはどう返事をしていいかわからなくかった。
     彼女の首に絆創膏を貼ってやり、直哉は満足げに笑顔を作った。
     不整脈を起こしたように心臓が高鳴る。
     苦しい。
     絆創膏の上から、ミンは首筋を掻いた。
     昨夜の出来事を夢のように感じていた。
     だが、こうして思い出すと身体の感覚は確かに残っている。
     煙草と線香の残り香。
     伸び放題の芝生の上は、霧で湿っていて冷たかった。 



     ゆっくりと足音がコツコツと廊下から近づいてくる。
     足音はこの部屋の前でとまり人が入ってくる気配を感じた。
     そちらを見るとそこから現れたのは仁重氏、義父だった。
    「線香か」
     突然の質問だった。
     眠りかけていたミンは、はっとからだを起こした。
     だがそれはミンに対しての問いかけではなかった。
    「貰ったんで」
     透の声。
     義父の後に透が部屋へ入ってきているところだった。
     義父に表情は無く二人共、影も光とも無関係そんな冷たい印象がした。
     中庭の見える窓に目をやりながら彼は小さく呻いた。
    「花を忘れていた、車の中だ。とってきてくれ」
     透は部屋を出て行く。
     義父はため息をつき、気づかず眠っている直哉を一瞥すると、ミンの側まで寄り彼女の目線まで腰を下ろした。
    「ミン、手紙をありがとう」
     ミンは瞬きを繰り返すばかりで、咄嗟に言葉が見つからなかった。
     義父は少し笑った。
    「そうだ。またお土産があるからな」
    「ありがとうございます」
     ミンはやっと言った。
     じりじりとどこか複雑に歪んだ顔から、ミンは目が離せなかった。
     義父がミンの首元を見ている。
     ミンは不意に絆創膏の貼られた場所を手で隠した。
     義父は、反対側で繋がれたミンと直哉の手に視線を落とし少し表情を柔らかく、
    ミンの頬に両手をぴったりとつけた。

    「お前は幸せか……?」
     義父は悲しげな表情を作り、そのまま床に崩れるように跪いた。
    「……ここで暮らしている事が私の幸せだよ」
     義父が何か言おうとした時、透が戻ってきた。
    「義父さん」
     生花を持って戻ってきた透は二人を訝しげに見た。
    「義父さん……」
     もう一度透が声をかけると、義父は「あぁ」と言い花を受け取った。
     葬式向きとはいえない艶やかな黄色い薔薇の花だった。
     ここで死んだ子どもたちを、せめてコーデリテの方式で送り出そうと言ったのは義父だった。
     コーデリテの葬式では日本のように白い菊などを用いる事は無く、故人の好きだった花や
    季節の花などで送るのが一般的だという。
     寒くても儀式の間は家中の戸を開け風通りを良くし、その日は一日食べ物を口にしてはいけない
    などの決まりがある。
     やがて透が義父を気遣うように尋ねた。
    「大丈夫ですか? 義父さんこそまだ退院の日じゃなかったのに」
    「私より自分の心配をすべきだろう。目にそんな隈をつくって、どうしたんだ?」
     透は罰の悪そうな顔をした。
    「ちょっと葬儀の準備でばたばたしちゃって。要領悪くて」
    「葬儀屋は帰ったか。苦労をかけたな」
    「いえ……」
     二人の間には妙な空気が流れている。
     その場を打ち破るように義父は祭壇の前まで足を引きずり進んだ。
    「もう墓石も来る頃か」
     彼は小さく呟き、透から受け取った生花を祭壇の上に置くと骨壷に一礼をした。
     二人が部屋を出るのを見送ると、ミンは耳を澄ました。
     足音が遠ざかり部屋は再び静寂を取り戻した。
    「ミン……」
     直哉が体をおこし、ミンを見上げる。
    「起きていたの?」
    「僕はミンと一緒だ。大きくなっても、ずっと僕が守ってあげる。だから、大丈夫だよ。絶対そうする」



    「透君。具合が悪いようですね?」
     墓を建てる場所をぼんやりと見ていた透に、男が声をかけた。
     きちんと整えられたシワ一つ無いシャツ。
     背が高い金髪の男。
     彼の名はカミル・ロッカートといい、孤児に対する医療と研究目的でコーデリテの首都クロノザにある
    総合医療機関エヴァーグリーン社からやってきた医者で科学者だった。
     4年前、透達がここへ住む事となった時期に同居するようになっていたが、
    現在は日本の支社のアパートに移り住んでいる。
    「中で、少し待ちましょう。業者が来るのはちょっとかかりそうですし」
     ロッカートはにこりとして透の肩を叩いた。
     針葉樹が象られた企業ロゴのバッジを付けている。
     いつも目にする白衣姿よりも黒い喪服姿の方が、なぜか本来の彼のような気がした。
     彼がコーデリテから持ってきた家具や書物は現在のアパートには収まりきらず、研究の報告や新しい研究準備の
    ため、半年ばかり母国へ帰宅していた間もそのままになっている。
     ミンと同じ、オレンジがかった金色の瞳。
     ロッカートとの再会は透やミンにとっても半年ぶりだった。
     それまで週に二回程度、差し入れと共に屋敷を訪れるなど、まめというかつつがないというか、
    割と長い付き合いがあるに関わらず透は彼がどういう人間なのか未だに計りしれずにいた。
     年齢は34だが、医者として働いていたのはほんの2年で、すぐに研究職に転身したらしく、変わり者なのだ。
     本人曰く「手術が下手くそで、何一つまともに出来ない駄目医者」だったと言う。
     そんなロッカートだがそれまでの4年間義父や透、直哉にミン、そして今は亡き透の姉、家族ぐるみで
    世話になってきた。
     家族同然の関係でもあったし彼自身も仁重家の事情をよく知っているので、同じような親しみを持って
    付き合いを続けているのだった。
     だが透はこのロッカートという男がどうしても好きになれなかった。
     笑顔や口調を見ていると、落ち着くというよりは違和感を感じてしまう。
    その「嫌な感じ」は、自分とは全く違うものに触れた時に感じる独特なもので、彼が異常だという意味ではない。
    善人なのだ。
     この時代に珍しい、純粋を貫き通したお人好し。
     透とは、根本的に合わないのだろう。
    「お前はもう、中に居なさい」
     義父までそう言うので、透は思わず怪訝な顔をした。
    「さあ、入りましょう」
    精神科医のようなロッカートの語り口調が透は苦手だった。
    「透君、お疲れさまでした」
    「いいえ……ロッカートさんこそ、長旅ご苦労さまです。それに、父の見舞いまで……」
    「貴史さん、顔色も良かったですよ。ちょうど私が行く前、誰かお見えになってたようで、お花が置いてありましたよ」
    「……誰だろう」
    「叔母さんの子どもさんか誰かじゃないですか?」
    「いえ、叔母に子どもは居ませんので……」
    「そうですか。また皆でお見舞い、行きましょうね」
     透は何も言葉を返さない。
     この間を意にも止めないといったように、ロッカートはいつも、すこしの間をとって話始めるのだ。
     お盆にグラスを乗せたミンが近づく。
    「ミンさん。こんにちは。背が伸びましたね」
    「こんにちは……」
     ミンは小声で挨拶をし、グラスを二人の前に置いた。
    「あぁ、独特な香り……メドリ茶ですね。儀式の後には必ず用意されているものです」
     ロッカートはグラスをとり、香りを嗅いだ。
    「朝、炒れたの。干していたのが、ちょうど良い感じになったから」
     その実はメドリと呼ばれ、コーデリテではよく、祭事などに振る舞われる梅のお茶だ。
     昆布茶と似ているが、花の香りが強くハーブティに近い。
     祝い事には砂糖漬けしたものが出されるが葬式などでは涙の味として一晩塩漬けにして出される。
     ロッカートは一口飲んで、少し唸った。
    「……ミンさん、これだとちょっと塩が濃いかも……」
    「ごめんなさいお湯を足してきます……。どうしよう、私、これくらいにしてみんなに出しちゃった……」
     ロッカートは少し笑った。
    「またコーデリテが誤解されますねぇ。でも、いいですよ。もうお茶を飲む事もありません。今日はたっぷり
    涙の味に浸っていきますから」
     ミンは二人の前に置いたグラスを引っ込めた。
    「俺は要らないよ、もう上で休むから。そうだ、宿題出てただろ、それをロッカートさんに後で見てもらって」
     透はすっと立ち上がり部屋を出て行った。
     ロッカートはミンを斜め横の椅子に促し座らせた。
    「わからない問題がありましたか?」
    「ううん。大丈夫」
     ロッカートは、ミンの学習の遅れを取り戻すために毎日電子メールで課題のやりとりをしていた。
     まだ一般的な14歳のレベルには達していないが、ミンは難なくこなしているので心配はしていなかった。
     ミンはロッカートにノートを渡した。
    「きれいに書いてますね。課題を考える私の方が大変になってきました。国語は通信に変えて正解でしたね。仁重さんに
    お願いして、家庭教師をつけてもらうのはどうでしょう」
     ミンは少し困った顔をした。
    「……知らない人は、いい……」
    「うん、でもミンさんの年なら、みんな学校へ行って勉強しているんですよ。そろそろ前向きに考えていかないと
    いけないですし、ミンさんなら大丈夫ですよ。今日も参列客にメドリ茶を振る舞ったのでしょう。
    十分人前でやっていけているではないですか」
    「……ううん」
    「まあ私も研究に託けてのんびりしに帰ってきたようなものなので、ミンさんの勉強に暫くはお付き合いします」
    「よろしくおねがいします」
    「ところで、給食サービスの方は、ひと月契約を延長すると仁重さんも言っていたので、安心してください。もう、
    補助は出ていませんが……。それまでに、透君とミンさんには、料理を覚えてもらわないといけないんです」
    「うん」
     ロッカートがふう、と息をつく。
    「彼も気苦労が耐えませんね。夜も眠れず、病気の墓荒らしのようになってしまって」
     微笑を讃えたままのロッカート。
     ミンは昨夜の事を思いだし悪寒を感じた。
     ロッカートは透が夜な夜な何をしているか知っていたのだろうか。
    「透は……疲れているから」
    「そうですね。彼は本当に気の毒な人です。どんなに強い心を持っていたとしても、
    あれだけの事を経験したら、無気力になるのもしかたがない事なのだと思います。しかし、だからといって、
    それがあなたの身にも波及する事は仕方の無い事ですか?」
     ミンは思い出して首をふった。
     まるで塞がりかかった傷に血が滲むのを感じるようだ。
    「何が……ですか?」
    「自由にされていても、透君はあなたの事を永遠に理解する事は無いですよ。あなたは、それが
    わかるくらいには成長しているはずですが。それに、彼は皆が気づいている事を承知しているんですから」
     ミンは両手で顔を抑えた。
     それ以上返す言葉も見つからず、ミンはバネのように立ち上がり踵をかえした。
    「お湯足してくる……」
    「ミンさん」
     ロッカートがミンの腕を掴む。
     透のように壊れ物を扱うような優しさは無く、腕の皮膚が押されるような圧迫感を感じた。
    「その心地のよさは、誰の為にもならないんです。あなたはもうじき、大人になるんですよ。
    それは精神より、身体が先なのです。少女のままではいられないんです。あなたの事を
    小さな子ども扱いしてくれる大人は、居なくなるということです。わかりますか。あなたも、もう
    子どもの振りをするのはやめることです。透君のためにも」
    「私……」
     ずん、と頭が重くなる。
     後ろめたさの理由。
     罪悪感。
    「……ミンさん、あなたこそ強くあるべきです。男は弱い。何がきっかけでも自制が効かなくなる動物ですから」
    ミンは今渡こそロッカートの腕を振り払い、逃げ出した。



     真新しい墓に花が供えられた。
     マニ車をいたずらに回す直哉には目をくれず、義父は葬儀屋と話をしている。
     屋敷から出てきたロッカートは直哉を後ろから捕まえると「遊びましょう」と言った。
     直哉は首を振り、一緒に出てきたミンの後ろにしがみついた。
     やがて葬儀屋達は義父と話をしてからすぐに去って行き、いつもの静かな屋敷に戻った。
    「あ。透がもう起きてきた」
     直哉が飽きれたように言った。
     義父も母屋の方を見て小さくため息をつく。
    「休んでいなさいと言っただろう。大変だったのだから、もういいんだぞ」
     義父は少し声のトーンを落として言った。
    「義父さん宛の電報が来てたので、一階のテーブルの上に置いておきました」
    「そんな事はミンに任せてあるのだから。薬は飲んだか」
     透は小さく頷いた。
    「このままではコーデリテへ同伴させる事は出来ない」
    「向こうにいけばその生活に戻します」
    「お前はここに残れ」
     義父は即答した。
    「暫く休んでもらって構わない。お前にも時間が必要だ」
    「もう、義父さんに甘えるつもりはありません」
    「いい加減にしろ」
     義父は静かに一喝した。
    「よく考えろ。今のお前に負わせるものなど何もない。学生のアルバイトじゃないんだ。お前の年齢なら
    大学に通ってありあまる休みで将来を考えている時だろう。そういう貴重な時間だと思え」
     杖をつく祖父を気遣いながら直哉は部屋へ入っていった。
     二人の背中を見送って、透は煙草に火をつけた。
    「義父さんだって辛いのに、どうして俺に良くしてくれるんだろ」
     透は歩き出そうとするミンの手を握った。
    「それとも義父さんは俺が使えないから、暇を出したのか?」
     すがり付くような透の姿にミンは少し驚いた。
    「ミン?」
    「うん……」
     ミンは小さな声で答え、水道のある方向を見た。
    「あぁ。いつも時間通りの水撒きか」
     透はため息をついた。
    「水はいいよ。なんか降りそうだし」
     透が空を指差す。
     ミンは空を見上げた。
     向こうの空が灰色に変わり、空気の感じも変わってきている。
    「な?」
     二人の間に風が通る。
    「着替えてくる……」
    「そのままでいい」
     ミンは俯いた。
    「義父さんが、また私にお土産をくれた……。新しい服よ」
     透は首を傾げた。
    「きっと夏服だ。向こうで一体いつ選んでいるんだろう。いつもはミンの話なんて
    一言もしないのに。そういえば、義父さんと、話をした?」
    「まだ」
    「じゃあさ、服のお礼がてらに一応車椅子は用意してあるって、後で伝えておいて。
    義父さんの部屋は玄関の近くにしたんだ。トイレも風呂も近いから移動にいいかなって」
    ミンが行こうとすると、透はミンの手を取った。
    「だから、報告も着替えも後だよ。どうせ喪服はもう着ないだろ。汚れてもいいじゃん」
    そう言うと、透はそのままミンの手を引いて歩き始めた。
    「具合は……?」
    「平気。三階調べたいんだろ。義父さんが元気なうちに上の骨董品も片付けないといけないし、
    やっとミンも色々な事、わかってきた。これからの身の振り方も前向きに考えないと……。やっぱり駄目だよな」
     長い廊下。
     窓は、その殆どが墓のある庭向きにとられているので、ミンはあまりその反対側の景色を見ることが無かった。
     お爺さんがとても都会を嫌った人だから、部屋の中から高層ビルが見えない作りにしたのだ。
     結局この屋敷が建てられて半世紀、この周辺に大きなビルが建設される事は無かった。
     数年前、駅の近くにアウトレットモールが出来た以外はここからも距離があり、静かなままだ。
     窓が内側についている、その所為で殆どの部屋は一日を通して薄暗い。
     外には色々なものがあるという事はミンは知っている。
     だけどミンは、殆ど外出しなかった。
     テレビ番組や映画で、知識としては知っている。
     透と郵便局や買い物にはたまには行っていたし、時々直哉を習い事に迎えにいくこともあった。
     だが、ミンの一日は部屋の掃除と花の水撒きで終わってしまう。
     外に好奇心は沸いてこなかったのだ。

     お爺さんの部屋へ向かう階段は、隠し階段になっていた。
     彫刻のあしらわれた木の壁をスライドすると、上方に明かり窓のとられた明るい階段が現れる。
    「ミン、昨日は思い出さなくていい、なんて俺は言ったと思うけど」
     ふと後ろを見ると、ミンが階段の踊り場で立ち止まっていた。
    「お前も怖いんだろ」
     ミンは何も言わず顔をあげ、歩みを再開した。
     最初にこの家に透が来たのは四年前、仁重老人が亡くなる少し前だった。
     認知症の最終段階で既に寝たきりで喋ることは無くなっていた。
     透には当時、事故の後遺症のため療養中の姉が居て彼女の世話の為にここで暮らしていたのだ。
     彼女が亡くなってから現在に至る二年間は脳梗塞後、言葉が出にくくなった義父の補佐をする
     ために、義父とコーデリテで暮らしていた。
     そしてついに仁重の会社がエヴァーグリーン社のものになるというので義父は体調を悪く
     したこともありその地位を別のものに譲り、自分はかつての仁重老人がそうだった「会長」としての
    立場で身を置くことになった。
     ミンの事を透はよく知らない。
     だから、どちらにせよ透がミンに話せる内容は簡単な概要くらいだろう。
     それともあの物置となった三階、全て売ったらいくらかになる程骨董品で溢れているあの部屋を
     調べれば何かが出てくるとでも言うのだろうか。
     三階には部屋が三つあった。
     一つはミンが居た6畳程の子供部屋で木製のベッド、箪笥とオルガンと小さな化粧台があった。
     今はその部屋は使われること無く、ミンの部屋は物置を改装した一階の部屋にうつっている。
     そして二つ目は仁重老人の部屋。
     義父達がお爺さんの病態の悪化に気づくまで、ミンはずっとそこで寝起きをしていた形跡が残っていたという。
     その部屋からは彼女に関する書類は何も見つかっていない。
     三つ目の物置に関しては、未だほとんど手つかずだった。
     前に覗いた時、一つ一つのコレクションが整然と並んでいたるようだったため、何かを探すという事では
     みつかりやすいかもしれない。 



    「埃だらけだな。暗いし……。怖い?」
     そう呟くと透はミンの手をしっかりと握ったまま部屋を見渡した。
    「平気だよ……」
     ミンは透から手を離した。
    「ロッカートさんが前に、大きな金庫を見たって言ってた……」
     ミンが言った。
    「他には何か言ってた?」
     少し考えたが、先刻ロッカートに言われた内容ばかり気になって何も浮かんでこなかった。
    「アーリントンみたいになっちゃったねって……」
    「何それ?」
     透がカーテンを開ける。
     俄に部屋が明るくなり、ミンは目を細めた。
    「アメリカにある広いお墓だって……」
     ああ、と透は言った。
    「あの人の日本語は時々無神経に聞こえるよな。コーデリテ語で話されると凄く丁寧な文法を使ってんのがわかるけど」
     ロッカート。
     ミンの腕には強く握られた腕の圧迫感がまだ残っていた。
     自分の知らない心の内側までも悟られていそうで、ミンは怖かった。
    「殆ど布で包まれてる……あれが金庫?」
     透が指を指した先には、確かに大きな金庫があった。
    「金庫の番号は知らないよな。だけど俺は少なくとも、ここには、そんなに貴重なものは無いと思う」
    ミンは何も言わなかった。
    「大事な物は、もっと特別な所に置くんじゃないかな……。例えばワインをワインセラーに入れるように」
    「……コーデリテは、ウイスキーが有名ね」
    「そうだね。俺も義父さんもウイスキーはあまり好きじゃないから、保存の方法とかもよく
    知らないんだけど……ワインみたいに温度管理必要なのかな。ロッカートさんはウイスキー好きで、こないだ、
    テトゥルって所にある蒸留所の話とかしてたし、日本のウイスキーも好きって言ってたっけ。でさ、コーデリテの
    高級土産といえば大体テトゥル蒸留所のウイスキーだろ。なんとかモルトとかって言って……。それを
    義父さんが本棚に置いといたら、そんな明るい場所に飾ってたら中身が劣化するって嘆いてたな」
     ミンは透が探すのを眺めていた。
     透が何かをどかす度に埃が落ち、窓のそばでは日光微塵がきらきらと輝き舞う。
    「ロッカートさんも、ミンも外に出る時は帽子をかぶったりサングラスかけるだろ。
    向こうの人たちはウイスキーみたいに光が駄目だってよく、会社の日本人達が皮肉ってた。
    夏はここも暑くなるだろ。ここにあるものは殆ど劣化してるかもな」
     透は側にあった小さな木箱を開けてみた。
     ミンもその箱の中を覗くと、中にはどこにでも売っていそうな木製の手鏡が入っていた。
    「もらっちゃえば? 女の子は大抵自分の鏡を持ってるよ。……にしても埃っぽい」
     透は物を避け、反対側の壁際までたどり着くと最後のカーテンを開けた。
     透は、近くにあったアンティーク調の椅子を窓まで引っ張り、座った。
    「この椅子はいいな。クッションもしっかりしてる」
     透はそう言いながら窓の外を見た。
    「こっちに来いよ。外見て」
     ミンは言われるままに透の方へ行き、窓の下をのぞいた。
     白い花を咲かせた木が見える。
    「あの花は、なんていうんだっけ? 今年は咲くのが早い気がするんだけど。直哉が棺にいれてあげたんだよな。
    あれは、ミンの提案だろ?」
    「ううん、直哉が自分で考えたの……夾竹桃(キョウチクトウ)よ。夏に咲く花」
    「ふうん、直哉がね……。他のは? 言えるだけ言って」
     ミンはすぐに答え始めた。
    「ミヤコワスレ、ツキミソウ、モッコウバラ、タツナミソウ……」
    「門扉に生えているのは?」
    「マーガレット、ライラック、アオイ、ピンク色のオダマキ……今ぐらいから生えてきて
    ……アスチルベ。あとはヒメウツギとジャスミン。ちょっと前まではすずらんも咲いていたよ」
    「あとは……?」
     透は頬杖をついた。
    「ユキノシタにガーベラ、クリスマスローズは咲いているけど終わりね、……今はお花が入れ替わる時期だから……」
    「義父さんが苗を注文したいって言ってたけど、どこに植える気?」
    「花壇を作るの。野菜もどうかなってちょっとお手紙で言っていたから」
    「野菜はいいね。今からだと、苗から買うの?」
     ミンは頷いた。
    「この間、直哉はどうやったら野菜を食べてくれるかって義父さん、気にしていた……もう5歳なのにって」
    「確かに。肉ばかり食べてるからな……。自分で育てさせたら教育にもなるかも。で、君はいくつだったっけ……」
    「え?」
     ロッカートの言葉がふと思い出される。
     自分は小さな子どもではない。
     透は少し笑顔をつくり、ミンに手鏡を渡した。
    「君は今年でもう15歳。そうやって座っていると、人形みたいだ。人形にされた、お姫様」
     その中には金髪の少女が映っている。
    「自分の年齢くらい、わかってるよ……」
    「どうだか」
     透はミンの髪に手を伸ばし、肩の下まで伸びた金髪を指に絡ませたり、手くしで解いたりした。
    「そういえば、こないだ義父さんと電話で話しただろ、二人で何を話した?」
    「庭に咲いていた鈴蘭の話……。谷間の姫百合、聖母の涙、君影草ともいうのだって……」
    「他は?」
    「病院食はまずいって。スープのだしは一体なんだろうって」
    「何だった?」
     ミンは首を横に振って「わからない」と言った。
    「そういう時は特別だしだと言えばいい。ミンがそんな事を言ったら、義父さんも笑う」
     私が? とミンは言った。
    「君は特別だ」
     透は気が塞ぐような声で呟いた。
    「ここへ帰ってくるといつも思う。どこの誰より、君は不思議だ」
     透はミンの髪を優しくかき上げた。
    「これ、どうした?」
     ミンの首筋に貼られた絆創膏。
     透はミンの横に屈み、首筋の絆創膏に触れた。
     ミンは絆創膏を手でおさえた。
    「直哉が貼ってくれたの」
    「そうなんだ」
     透の腕がミンの腹部へ伸びる。
     びくっとしたのもつかの間、ミンはあっという間に透の膝の上に乗せられ、背中を抱きしめられていた。
    「直哉……傷ついていたよ……」
    「知ってる」
    「どうして、あんな事を言ったの?」
     透はミンの質問を無視し、抱きしめる力を強め、肩のあたりに顔をうずめた。
     苦しくなる直前の力加減。
    「義父さん……こうしている事、きっとすぐに気付くわ」
    「そうだね」
     透は簡単に答えた。
    「やめたい? でも、君だってもう、ずっとそのままでいたいんだろ」
     ミンは同じ表情のままじっと鏡を見続けていた。
     繰り替えされるこの日常。
     それと同じ数だけ「飯事」を繰り返してきたわけだ。
     一方的で、シンクロニーが欠如しているからこその愛。
     どんな愛撫を与えられようと、それは飯事以上のものにはなりえない。
    「あなたは、私を人形のようって……」
     ミンは掠れ声でつぶやいた。
    「言ったね」
     透の手がミンの体を撫でていく。
     優しく、撫でるだけだ。
    「今日だって葬式なんて無かったような顔をしてる。しばらくしたら、ミンはどーせ、今日の事も忘れる。
    俺も、何も悲しい事なんて無かったみたいに心が平らなんだ。でも、俺たちだってそのうち死ぬんだよ。あと何年か生きて」
    透は、ミンを黙らせるように喪服のスカートをたくしあげ、直に太股の間に手をやり撫で上げあげた。
    「中もレースになってたんだ、かわいー」
     ミンはくすぐったくなって透の膝の上で動いた。
    「太陽だっていつかは燃え尽きる。生まれたエネルギーは少しずつ削られながらいつか消えちゃうんだって。
    だから、人間も世代をおうごとに弱くなってる。経済も、命も。資源はだんだんと失われて。宇宙全体の長い歴史の
    中の今。……宇宙の片隅の星の消滅は、人知れず死んだユッカとも似ている気がする。
    一点の光にもならないという意味ではさ」
     ミンは透の言葉を頭で反芻した。
    「……鏡、見ろよ」
     ミンは手鏡を片手に握ったまま手をだらんとしていた。
     透はミンの手首ごと持ち上げ、ミンの顔を映した。
     そこには髪を乱し、だらしなく透に寄りかかる自分の姿があった。
     ミンは鏡をそれ以上見れなかった。
    「今まで何回キスをしてきたか覚えてる?」
    「覚えているよ」
     ミンは目をぎゅっと閉じ、俯いた。
    「嘘だな。俺、覚えてないもん。日記にその事も書いておけよ」
    「そんな恥ずかしいこと、書かない」
     ミンはすぐに答えた。
    「書けよ。どうせ大したこと書いてないんだろ。明日から同じ日々だ」
     透はミンにキスをした。
     出し抜けのキスに、ミンはただ困った顔をしただけだった。
    「ミン……本当はここに何しに?」
    「探しに来たの……私が昔書いた日記帳……」
     ミンが呟いた。
    「日記帳か……。それならここには無いよ」
    「なぜ……?」
     透はミンの質問を無視して、彼女の胸に手を置いた。
     力を込めて握る事などしない。
     ただ、服の上から形を味わうように撫でるだけだ。
     ミンは少し身じろぎをしたが、後はじっとしていた。
     惰性、これはそれに近いものがあった。
     半年間続けてきた遊びにまた今日が加わる、そんな日で良いのだという諦めの繰り返し。
     そんな日の今日。
     「飯事以上の事」はしない、それは透が勝手に決めたルールだった。
     だが、一番初めをミンは覚えていない。
     透の言った通り自分は忘れてしまったのだ。
     日記帳に書けるような内容でもなかったので。
     彼は酷く疲れていた、そんなイメージが残っている。
     透の瞳の中に写る自分にミンは安心していた。
     そして、いつの間にかこうなったのだろう。
     簡単だ。
     そんな脆い約束が破綻するのも、今日か、次だ。
     ミンの体は、もうとっくに抱かれたがっている。
     決して嫌ではないのだ。
     なぜ、駄目なのか。
     ミンは今年で十五歳だ。
     彼女はいつからか、いつのまにか透の事を愛していた。
     その先に踏み込めない事情はかんたんだ。
     それが一重に、透や義父そして直哉がミンの事を「家族」だと言ってくれたからだ。
     ミンはずっと一人だった。
     夢幻の状態だった時からずっと。
     彼らがいなくなった生活は、ミンには想像出来なかった。
     だからミンは彼らの家族でありたかった。
     もしも自分がただの、透の女になってしまったらどうなるのだろう。
     ミンは怖かった。
     だからミンは次こそ透に伝えなくてはと、毎日思っていた。
     だが、透の事情は別にあった。
     ミンがどういう想いを抱えようが、彼女が一瞬でも彼を望んだ瞬間に、彼は彼女を抱くだろう。
     愛であろうがなかろうが。
     ミンはまだ知らない。
     混沌とする記憶の中、何がこうも二人を結び合わせたのか。
     それほど頑なな絆なのか。
     そんなものは無いのだ。

    「俺がこの絆創膏を剥がしたら、また直哉が絆創膏を貼ったりして。そしたらまるで攻防戦だな。
    あいつ、寝小便垂れてる癖に、意外としっかりしている所もあるから」
     透はミンの首筋の絆創膏を簡単に剥がし、そこにキスをした。
    「痛い……」
     ミンは、透の手を掴んだ。
    「何が? ……怖い? やめる?」
     透は至極やさしい口調で言った。
    「ううん、違うの……」
    「なら、何?」
    「無意味な事では無いの。ユッカが生きていた痕跡は、私たちに──残るから」
     透は、脱力したミンを見下ろす。
    「それで……?」
    「強く進まないとって、思うの。彼自身はいつか忘れ去られても……命は、そうじゃない、
    幾分、私たちの次に繋げる、栄養に……なるって、私は思う」
     ミンの体にはもう力は入らない。
    「そう。……」
     透は手を止めた。
    「お前は、ここの子供が死んでいくのを見て……どう思った? こんなままごとで慰めあいなんて。
    俺はもう、ずっと前から飽きてるんだよ……教えてくれよミン。お前はどうなんだ……?」
     ミンはわからなかった。
     自分はこのまま透の女になりたいのか。
     それとも家族でありたいのか。
    「……ごめんな、ミン……俺はいつも投げかけるだけ投げかけて、聞こえないふりをしていた。
    お前の言葉も、叫びも。俺なりに、お前たちの事、労ってやろうと思っていたけど、
    何か根本的に欠けていたのかもしれない」
     風が窓をガタガタと揺らす。
     曇った窓ガラスの向こう、雨樋で受けきれなかった雨がぽたぽたと止めどなく落ちていく。
    「ミン……泣いてるの?」
     透はミンを離した。
     拘束を解かれた彼女は深く息を吸い込んだ。
     ミンの潤んだ瞳と、紅潮した頬。
     彼女はまだ、微睡んだように肩を上下している。

    「先に涙を流したのは、透だよ」

    「俺が? なんで?」
     透は自分の頬に触れ、はっとした。
     透は顔を押さえた。
    「なんなんだろうこの、脱力感……ユッカが死んで、悲しいのかな」
     ミンは暫く考えたが、この苦しみは透と同じ「罪悪感」だった。
     もうミンは相手の瞳の中の自分の存在に安心するような次元には居ない。
     二人は束の間、共犯だったのだろう。
     透は目頭を押さえながら、ふらふらと部屋を出て行った。
     少しして、ミンもハッと我に返り透を追いかけた。
     透は扉の横に腰を下ろしていた。
    「居ますよ。こんな所にミンを置いていくわけ無いだろ」
     そして、彼女の手をぎゅっと握り言った。
    「ミン……もう、これ、終わりにしよう。悪いのは俺だけだ。お前は共犯者ではなくて……被害者なんだ」


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