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    3話:ホーム

    この感覚を形容するための言葉が見つからない
    今も、また今も
    ふやけすぎた肌を撫でるように
    風が私の何もかもを掠め取っていく
    そんな音が聞こえる気がする

    3話:ホーム

     そこは6畳程のスペースでショーウィンドウには戦闘機のプラモデルが置かれていた。
     木製の棚の上には既に出来上がった三つの壷と、作業台に途中で放置された作りかけの二つの陶器があった。
     太陽系を象った球体のオブジェや古いカンテラが天井から吊るされている。
     小さな本棚の中には古そうな児童書が収められていた。
     昆虫図鑑やミステリー小説も。
     ここからも窓の外に、白い花をつけた夾竹桃が見える。
     だが、この部屋に入って一番目につくのは、壁にかけられたコーデリテの雪山の写真だった。
    「半年間も放っておいたわりには綺麗ですね」
     ロッカートは部屋を見渡した。
    「あまり、使っていなかったから」
    「そうですか。電気は……」
     照明のスイッチを押したが、パチンと一瞬明るくなったきり、点かなかった。
    「電球がきれていますね」
    「今度、買いに行く……」
     窓がガタガタと鳴り、部屋の中がにわかに暗くなる。
     雨が降ってきた。
     ここは「作業部屋」となった給湯室だった。
     今や作業をするために入る人間は誰もいなかったが。
    「ちょっと使いますね」
     蛇口をひねると、少し間を置いて水が出てきた。
     ロッカートはコンロに置きっぱなしだったヤカンをゆすぎ、火をかけた。
    「……やっぱり、コーデリテの方が、落ち着く?」
     ミンが訪ねた。
    「そんな事ありませんよ、寒いですし。水がすんなりと出てくるという事は素晴らしいです」
     ミンが窓の側に置かれた椅子に座るとロッカートはすぐ隣まで椅子を引っ張り腰かけた。
    「毎日忙しかったので、日本に戻ってくることが出来て嬉しいです。それに、ここの過ごしやすさを
    思うと。あっちでは水道も凍ってしまって使えないこともあるのでね」
     ロッカートは笑った。
    「研究、もう終わったの?」
    「ええ、今度は新しい機械を持ってきたので、それを導入していこうかなぁと。治験レベルで臨床で使うには
    まだまだなんですが……。でも、ミンさんの治療にも役に立つかもしれないんです」
    「それなら私、協力したいな。私のぼーっとした感じ、あなたの薬で大分よくなったから……。それに、メモを
    書かなくても最近は平気なの」
     ロッカートは苦笑した。
    「良かったです」
    「だけど、一昨日の夕食がなんだったか忘れることもあるの」
     ミンは少し笑った。
    「私もありますよ。それはわりと普通の事です。今度、また検査をしましょうね。
    勉強も苦じゃなくなってきたでしょう」
    「……うん。本当に、ロッカートさんのお陰でよくなった。お医者さんってやっぱり凄いね」
     ロッカートは、首を横に振った。
    「治るきっかけ作りをしているに過ぎないんです。みなさん、ご自分の力で治っていくんです。得に脳の領域なんて
    いうものは不思議です」
    「私の力?」
    「そうですよ。奇跡にも近い事かもしれません。以前、あなたとお話していた時は、宙を漂うようで、3分も
    話をしたら、前の話題に戻ったり、さっき尋ねた事を驚いたりしていましたから。そんな事、今は無いでしょ?」
    「多分……」
    「コーデリテでは冬になると水道が凍るのです」
    「さっき、聞いた」
     二人は笑った。
    「……引越しはもう、終わったの?」
     ミンが話題を変える。
    「ええ、一応は。でも。まだここに残してきたものも少しあります」
    「……どうして一緒に住まないの? 前は……一緒に居た、よね?」
    「仁重さんのお世話になるのは申し訳ないですから。会社のアパートを借りれたので、大丈夫ですよ。コンロが
    一つしかないのが不便ですが」
    「でも、義父さんが、お世話になってるのはこっちだよって、言ってたよ……」
     ロッカートは首を横に振った。
    「それは違います。私の会社の都合で、研究をしに来ているんです。薬の効用はここに居た子供たちには
    なかった……。私たちの目標は、あくまで健康な状態に戻してコーデリテにかえしてあげることだったのに」
     ミンは、死んだユッカの事を思い出す。
     だが、死んでしまった子供だけではない。
    「何人かは……元気になって、戻ったの。少し、覚えてる……」
    「そうでしたね……。ですが、壊れた脳で勉強していくことは大変なのです……。その先は見てあげる人が
    居るのだろうか、そこまでの事までは考えてあげられませんでした。なのにお給料までいただいて、
    これ以上お世話していただくのは私も心苦しいんです」
     ミンは何も言い返さなかった。
    「だから、ミンさんが元気になっていく姿を見ていくことが出来て、とてもうれしいんです。懐かしいですよ、
    ミンさんは本当に小さかった。貴子さんの事お姉ちゃんって……かわいかったですよ」
     その言葉を聞いた瞬間、ミンはどくんとした。
    「……透のお姉さん」
    「あの時は、貴子さんもまだ、元気でした。ミンさんは貴子さんの事が大好きで、毎日彼女の部屋に居ました」
     貴子。
     透の姉。
     それ以上の記憶はミンにはもう、残っていない。
    「ロッカートさん。私……透のお姉さんの事、忘れてしまったの。なんだか、いろいろな事を忘れちゃったって、
    それだけが今はわかるの。透達が居ない間も、ずっとお墓のお掃除してたのに、いつの間にか、ぷつんと、……。
    だけど、透には、聞けない。でも、私が忘れちゃったって、透もわかってる……」
     ロッカートは少し悲しげな顔をした。
    「いいですよ。私もお話出来ますので。ミンさんが聞きたい話があったら、なんでも」
    「……ありがとう、ロッカートさん。私はいつ、忘れちゃったんだろうって、怖い」
    「あなたは、何回か酷い熱を出しましたね。私が向こうに帰っている間は別の者……ちゃんとした医者が診ていたと
    思うのですが、あなたの記憶に対する保証が無かった。熱を繰り返している間に忘れていったのも一つです」
    「うん……」
    「そうでない時……あなたはずっと一人だった。今のように義父さんも透君も直哉君も居なかった。私はいつも
    居たわけではないし、あなたがすがれるのは過去の記憶を思い出す作業と庭の手入れだけ。あなたは、辛そうでした。
    だから私は、思い出そうとしなくてもいいと、何度も言ってしまったのです。私の所為でもあるんです……」
    「……思い出す作業、私はどうやってしていたの?」
    「日記帳とメモ帳です。今もつけているでしょう。そういうのも効果がないくらい、あの時のミンさんの
    記憶障害は重度でしたが……。でも、熱もおさまり、治ってきた。というより、きっと記憶の部分が発達したんです。
    小児分野の脳の臨床では、たまに見られますが、あなたのように健常に近いレベルまで改善するのは、とても稀です」
    「……それを知っているのは、ロッカートさんだけ?」
    「いいえ、話していますよ、仁重さんと、透君には」
    「私、自信が無いの……。いつも、何も考えるでもなく、ぼーっとしている事がたくさんあるわ。
    気づいたら、夕方になっていて、花の水やりの時間だって気づくの。……その間の事は覚えていないの」
    「今はそれでいいじゃないですか。大丈夫ですよ、ミンさん」
     側に布で覆われた道具がある。
     ロッカートはその覆いを外した。
     それは、電動の陶芸の回し台だった。
    「これは、私が貴子さんの為にコーデリテから持ってきたものです。コーデリテでも作業療法が盛んなんです。
    やってみます?」
     茶色い土が乗っていた跡のある、かなり年季の入った機械。
     ロッカートは機械の前に屈み込み少し笑った。
    「ビアマグ程度の大きさなら目を閉じて開ける間に作っていました。本当に……もう一昨年の事なんです」
     コンロの上のヤカンがコトコトと音をたて始める。
     ロッカートは棚の引き出しからインスタントコーヒーを二つのカップに入れ、湯を注いだ。
     たちまち部屋はコーヒーの香りで満ちる。
    「どうぞ」
     ミンはカップの中のコーヒーを見つめた。
    「コーデリテには陶芸家が多く、趣味にしてる人も沢山居て、私も子供時代は作ったものです。
     貴子さんは上手でしたよ。でも、自分が死んだ後に残るものは嫌だって……作ってもすぐに壊していましたが」
    「じゃあ、作品は無いのね……」
    「殆どは残って居ません。ですが、最後まで作り続けていた事は事実です。お手伝いを何回もしましたから」
     ロッカートの語尾が歪んだ。
     この人もまた、悲しみの中に居るのだろう。
     透のようにその感情に蓋をしていないというだけで。
    「子供たちと同じ……事故の後遺症だったんです。就職先も決まって、健康診断をした時に発覚したのです。
    丁度五年前、コールドフローと呼ばれている、百年に一度の大気現象であちこちが駄目になって、その時、
    鉱山で事故が起きたのです。毒ガスが広がり、辺りに居た人は脳炎を起こして、意思疎通が出来なくなりました。
    北国で生きていく事が出来ない子供たちや、事故の数年後に亡くなった関係者の孤児の一部を養子として仁重さんが
    引き取ると言ったそうです」
     ロッカートは続けた。
    「その時透君の父親も親戚の一部も巻き込まれ、しばらくして直哉君の母親も亡くなりました。
    隣国のテロではないかとデマが流行りました。だけれどそのような証拠は出なかった。
    国中は大騒ぎで、鉱山側の上層部の一部が、それにのせられて隣国のテロだと、失言をしたのです。
    それからは大変そうでした。それでも鉱山は閉山される事もなく、国営に切り替えようという動きで最近
    まではごったがえしていました。そこで現れたのがエヴァーグリーン、我々の民間企業です」
     アルバムの一ページ目は現在のビニールのカーテンで被われた一室にベビーベッドが無数に並べられ、白衣の男達が
    大勢で乳児たちの世話にあたっている様子が写し出されていた。
     彼らの胸にはミンも良く知っている針葉樹のロゴマークがついている。

     葬儀のあった部屋からキャンドルの消された後の煙が空調を通して流れてくる。
     今日も義父は蝋燭をつけたのだろう。
    「……さっき、透のお姉さんの話を聞いたときに、思ったのだけど、あなたはお姉さんの事を
    大事にしていたんだなあって……」
     ロッカートは、我に返ったようにまばたきを繰り替えした。
    「そうです。私にとって何より大事な人でした。愛の深い人で、母親を思わせるような人でした」
    「私もお姉さんの事、大好きだった……そんな感じがする」
     ロッカートはぐいっとコーヒーを飲み、ふうと息をついた。
    「ロッカートさんの本当のお母さんは元気?」
    「ええ、今はどこで仕事をしているんだかわかりませんがね」
    「へぇ〜」
    「ところで、物置で、何か見つかりましたか?」
     ミンはびくりとした。
    「沢山骨董品があった。でも……、得に何も……」
    「あなたの想いも聞かせてください。言葉が全てではない、それは賛成です。だけど
    それを使わないと伝わらない事もあるんですよ。……得に男は鈍感ですから」
     ロッカートの言葉が彼女の中で渦を巻いていたが、彼の前でどんな態度をとればいいのかもわからなかった。
     透は、ロッカートにどこまで話した上で、一体どんな反応を自分に求めているのかという事も。
    「見つからなかった……」
    「そうですか」
     ロッカートは暫く待ったが、ミンが何か言う事は無かった。
    「……私、日記帳を探していたの」
    「日記帳?」
    「どこかに、日記帳を無くしてしまったの。日記帳を無くした事さえ、忘れていた。最初のころは、
    今よりもっとぼんやりしていた。透と、忘れないでいるって、約束したのに」
    「それまでの事を忘れないという約束ですか?」
    「そう。そんな約束をしたはずなの」
    「透君は何か言っていましたか?」
    「あなたと一緒よ、思い出さなくていいって……」
     ミンは泣いた。
    「ごめんなさい……。私は、もしかしたら日記帳を……どこかにやってしまったんじゃないかと
    思ったの。それで……3階……怖かったから、透にお願いして、一緒にあがってもらった。
    だけど、無かった。見つからなかった」
     ロッカートは胸のポケットからハンカチを出すと、ミンに渡した。
    「ミンさん、大丈夫です。思い出せなくても、いずれ知っていく事です。透君の事もいずれわかっていきますよ。
    大丈夫ですよ。ミンさんはとても優しくて素敵な女性に成長している。だから、大丈夫なのです」
    「だけど……一つ、安心した事があるの……」
    「なんですか?」
    「昨日、透が……泣いているところ、初めて見た……。ユッカが死んで、悲しいって」
     ロッカートはその言葉には目を丸くした。
    「そうですか……それは、彼の心の霧が晴れる手立てになると思います。
    ミンさんはその手を離さないことです」
    「……あのね、私……」
    「ええ、なんですか」
     ミンはそれきり何も言えなかった。
     今度はロッカートが無言になり、ミンが何か言わないか待っている。
     沈黙が辛かったわけではない、その沈黙を受容するような空気感だった。
    「あなたは……しあわせの王子みたいに見える」
    ロッカートが首を傾げる。
    「優しいから」
    ミンは少し照れくさくなって顔を背けた。
    「そんな美しい生き方、私には出来ません。だけど、コーデリテという国では、みんなが貴族でしたから、
    あちこちに王女や王子が居ますね」
    「みんなが自分を貴族だと言うの?」
    「事故で国中があんなムードになる前までの話でしたが。みんな心は裕福で、あちこち親切にしていました。
    実際に、王政があったのは三世紀も昔の話です。ホトリとコーデリテが戦争をしていた、そんな古い時代のことです。
    それに、ホトリにはまだ辛うじて王室が残っているでしょう。コーデリテにも貴族みたいな名残りがあるように。
    日本とそこが少し似ています。私は、ミンさんがどこかの国のお姫様の生まれ変わりだとしても、驚きませんよ」
    「どうして?」
    「あなたは自分を犠牲にしてまでひとを助けようとする心の優しい女性だ。私の持っている
    歴史小説では、そんな人がコーデリテのお姫様だったと書いてあります」
    「……私は、何も知らないだけよ……」
     ロッカートは苦笑した。
    「そう。あなたは無知だ。もっと広い世界を見なくてはいけない。美しいところばかりではなく、
    ダークサイドも。残念ながらこの小説のお姫様は不幸な人生を送ってしまいました。敵国の暴君にさらわれて、
    その後、国交正常の式典の日、なぜか王女はかえされず……精巧に作られた人形だけがかえされたそうです」
    「お姫様はどうなったの?」
    「わかりません、生きているのか死んでしまったのか……それとも本当に人形になってしまったのか」
    「不思議なお話ね」
     ロッカートは少し笑った。
    「ファンタジーではなく、史実です。その人形はコーデリテの博物館におさめられてます」
    「そうなんだ……」
    「今はあまり話をきかないから一般には公開されていないかもしれません。それは美しい人形です。
    髪は金髪で長く、目にはオパールが、頬や唇は優しく自然な血色をしていて、生きているように見えるのです。
    あなたに似ています」

    ──人形。

    「私は、人形じゃない……」
    「ええ。あなたは人間だ。このお話はこのへんにしましょう。ところで、さっきミンさんは、
    私にコーデリテの方が落ち着くか尋ねましたね。あなたは、自分の故郷……どこだと感じています?」
    ミンは一瞬考えた。
    自分は生粋のコーデリテ人だが、記憶が始まった頃から日本へ居る。
     だから、ここがとっくに自分の故郷だ。
    「このおうちかな。それ以外思いつかないよ。でも、私は自分の事を日本人だとは思っていないわ。
    コーデリテ人とも。なんだか、どっちも自分にしっくりこないの。今、初めてそんな風に思ったんだけど……」
     ロッカートは関心したように頷いた。
    「なるほど……。私は一応コーデリテ人ではありますが、仕事や趣味で、色々な国で生活してきて、
    ここ十年一定の場所は無かったので、本当の故郷を見失って居る気もします。それは、自分が無いような
    感覚とも近いかもしれない。だけど、思い出したり、帰った時に恋しいと思えるのはやっぱりコーデリテの、
    母や祖母と過ごした場所でした」
    「思い出して恋しくなる場所……、それは離れてみないとわからない感覚だよね。私にはここしかないから、
    それはわからないな。……そうだ、透や義父さんや直哉も、そうなのかな」
    「今度聞いてみるといいですよ。面白い心理だと思います。私の友人も、混血が多くて、
    色々な国の文化を持っていて。そうそう、コーデリテは移民が多い国で、あちこちの人が彼らの
    独自の文化を持ってきてコーデリテの文化を壊しているって、難しい人たちはたまにもめたりもしています。
    でも、その移民の人たちの次の世代、透君や直哉君のような子ども達は、そういうのに囚われずに、
    両者を合わせたような価値観を持っていたりして、面白いですよ。私の母も国外が多くて、
    似たようなことを言っていたかな」
    「じゃあ、ロッカートさんには、コーデリテ人だっていう感じは無いの?」
    「無いわけじゃありません。あまりそれを感じないというだけで。コーデリテの山を見ているとやはり、
    自分のルーツはここだとも思えますし……。それはやはり、色々な場所で生活して、コーデリテに帰った
    瞬間に思うので、やはり私は、コーデリテ人ですかね。でも、一番落ち着くのは、日本かな。
    あまりに過ごしやすいので、離れたくないですね」
     ふと、ロッカートが壁掛け時計に目をやった。
    「今日は透君にお客さんが来る日でした。あとで挨拶をしに行きましょうね」
     窓の外を覗くと人影があった。
    「お客さん?」
     ロッカートは「あれ?」と言った。
    「井藤千春さんです。透君のお姉さんのお友達。最期に来たのは一年くらい前でした。
    ミンさんはあまり会っていなかったかもしれませんね。透君は彼女と会う事を、今までずっと拒否していたんです」
     肩までの茶髪を三つ編みにした女性が屋敷の門扉の前に立っていた。
    「ロッカートさん、話したことあるの?」
    「ええ。これまで彼女には何回か近くのお店で話を聞かせていただいてます。もう、
    流石にお招きしてみてはと透君を説得していたんですが、彼もやっとその気になって、良かったです」
    「どんな人……?」
    「とても真っ直ぐな人です。彼にとっては今はその前向きさが、少し辛いかもしれませんね」


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    posted by 小説あらすじ |