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    1.4 150年後
    1ー4 150年後


     周囲の瓦礫に昼下がりの暑い日差しが照りつけている。
     自分の為に用意されていたと思われる靴を履いて、彼は瓦礫の街を歩いていた。
     あれから150年が本当に経ってしまったというのだろうか。
     シュンリ・ランドスタイナーは未だ自分が置かれた状況を計りきれずにいた。
     置き手紙を見て開けたチェストには、Tシャツと長袖シャツ、そしてダウンジャケットまで入っていたが、
     気温は暖かく、薄手のTシャツ一枚で十分だった。
     自分が知っているこの国にはありえない南国のような気候。
     記憶に残っている空気とはてんでちがう。
     だが、遠くの山の地形などを見るに、確かにここは自分が「昨日」訪れたテトゥルのようだった。
     街の様相も大きく変わっている。
     ゴーストタウンとなってしまった廃墟の商店街の跡地にも人影はない。
     ここを通っても煙草は買えないだろう。
     いくつかの家の門扉には露草の模様をあしらった家紋のようなシンボルがあった。
     テトゥルウイスキーの樽を模したマークにも似ていると思ったが、関係はなさそうだ。
     使えそうな通信機器類も設置されていない。

     ふと、ストリートの正面に残骸が見える。
     これはテトゥルのランドマークとして街の中心に立っていたものだった。
     大規模な時計台のオブジェで、景観を乱すと不評だったが、残骸の様子から崩れてから長い間が経っているようだった。

    「風化している……。南国の風の臭いだ」

     辛うじて残る柱の部分を観察すると膝の部分の高さまでフジツボがついていた。
     ミオの家があった場所より大分低い街なのでここまで水が上がってくるということらしい。
     ここからも海が近くに見える。
     海面は上昇し、かつて町があったここよりもさらに低い場所は既に海の底だとわかる。
     
     海辺の街テトゥルがこのようになるのは仕方ない。
     時間がこの空間を作り上げたのだ。
     他の都市はどうだろう。
     首都クロノザ、そして自分が住んでいたラデンタワーは?
     繁栄している都市部が残存していたとして、そこへたどり着くまで移動にどれだけかかるのかわからない。
     そして、自分の他にシェルターに入り生き残る事を選んだ人々、彼らは今どこに居るのだろう。
     だが、今の自分にとって大切なのはここが150年後か、はたまたタイムトラベラーが見た80万年後の世界か
    という事ではない。
     それを知り実感した所で片道切符の時間旅行をしてしまったという事には変わりが無いのだろうから。
     この生身の身体だけでここに来てしまった。
     もう過去に帰る事は出来ない。
     シェルターに入ったその瞬間から。
     だが、話が違う。
     人間の体が冷凍睡眠に安全に耐えうると言われていたのは10年程度のはずだった。
     それくらいで地球上の汚染のピークは過ぎて落ち着き始めると言われていた。
     そんな賭けをして遠い未来に飛び込だわけではないのだ。

     あたりを見回しても生活感のある建物は一向に見つかりそうにない。
     自分が寝かされていた家の近くにはいくつか人の住めそうな建物が残っていたが、それもあの周囲だけだった。
     動いたことで猛烈に喉の乾きが襲ってきた。
     息切れと倦怠感。
     少し動いただけでこの有様だ。
     筋力はもちろん、思った以上に体力が失われている。
     そしてこの気候も相まって歩いているだけで水分を奪われていく。
     シュンリはミオが向かったと思われるテトゥル・シェルターの位置を確認した。
     シェルターはウイスキー工場の敷地内の丘にあった。
    「ミオ」からの置き手紙には、シェルターへ行くと書いてあった。
     昼に帰るとも。
     空の点滴。
     ミオという名前はよく聞く。
     Mから始まる名前を女の子につける事はこの国では定番だった。
     山岳信仰の根強いこの国に居た敬虔な女性信者に由来するものだったと思う。
     暮らしぶりなどから見るに、ミオは若い女のようだった。
     チェストには彼に用意された物の他、質素な女物の衣類が入っていた。
     星型のスタッズやカラフルな飾りボタンが施されており、積極的にお洒落はしないが、
    好きなものを少し取り入れ満足するタイプという事くらいがうかがえた。
     そんな少女が過疎化が進み文明が後退してしまったとはいえ、この様な辺境の街でたった一人で
    生活の全てを送っているとは思えない。
     保護者か彼女を知るこの家の大人がシェルターに居るのだろう。
     何より水が必要だった。
     家の冷蔵庫を拝借しようと開けてみたが何らかの研究材料とみられる幼虫の瓶詰などが入っている
    ばかりで食料は見つからなかった。
     蛇口から出てきた水は不味く、喉を潤すことは出来きず。
     もう少し散策したら引き返して家主の帰りを待てばいい。
     気を取り直し歩みを再会した時だった。

     近くのとおりからエンジン音が近づいてくる。
     シュンリは大通りへ出た。
     数人乗りの四駆がこちらへ向かってきている所だった。
     手を振るとその車は近くに止まった。
    「なんだ兄ちゃん、丸腰で何をしているんだ。追い剥ぎにでもあったのか?」
     太った男が車の中から顔を出す。
     男の放った言葉には聞きなれない音が含まれていた。
     意味は通じるがシュンリは一瞬言葉を迷った。
    「いいえ、ミオという女性の家で目を覚ましました、俺の名は─」
    「シュンリ、なのか?」
     後部ドアから背の高い中年男性が降りてきた。
     全く見知らぬ顔だ。
    「私は、テトゥルシェルターの管理人のヤールだ。……目を覚ましたのですね」
     ヤールは驚いた顔でゆっくりと言った。
    「うそ!」
     助手席に座っていた眼鏡の女性も半ば叫びながら車から降りてきた。



    「どうですか、未来に目覚めた気分は。私は、チコと申します。学生時代はヤール先生のゼミで
    卒論は古代人研究をやったんです!」
     眼鏡の女性、チコが身を乗り出すように質問する。
    「本当に150年後なんですね」
     シュンリは簡単に答えるとヤールに目配せした。
    「他の人達はどうなったんですか? 150年も汚染は続いたのですか。当初は長くて10年という計画で、
    人間の身体もそれ以上の年数には耐えられないという話でした」
     ヤールもチコも苦い顔をした。
    「150年の間、あなた達を目覚めさせる可否は、環境が落ち着いた後も色々な事情からずっと議論されてきたんです」
     チコが申し訳なさそうに言う。
    「事情……」
     それは何だと聞こうと思ったが、チコは今にも掴みかかってきそうな好奇の眼差しでシュンリの事を見ている。
     視線は合わせず、彼はきもちチコから離れた。
    「詳しい事は現代には残っていないから詳細は伝えられないのだが、シェルターの管理は様々な組織の手に渡り、
    寺院が管理していた事が理由で君たちを即身仏として崇める動きが生まれました。それから十年前から国営に切り替わり
    現在やっとその許可がおりたのです」
     聞こうと思った内容はヤールが簡潔に答えた。
     数秒ほど、今の言葉を反芻する。
    「それで150年も放置されていたというわけですか」
     シュンリはゆっくりと視線を上げ背の高いシェルター「管理人」をみやった。
    「まずあなたを試験的に目覚めさせる事が決まった。あなたは今日まで二週間、ずっと目を覚まさなかったんです」
     ヤールは静かに言った。
    「なので他の人達はシェルターで氷づけにされたままです。それで最近やっと決まったのです。
    あなたが目を覚ませば、他の人間達も目覚めさせていいという条件付きで」
     ヤールが言い終わらない内にチコがシュンリの手をおもむろにとりあげる。
    「暖かい! むしろ熱い! すごいわ、古代人は体温が高いのね、それにこんなに若い男性の
    オーロなんて初めて見たわ、ヤール先生」
    「こら、失礼だ。彼は標本動物では無いんだぞ! 少し黙っていなさい」
    「ごめんなさい、失礼しました」
     二人のやりとりを運転手の男が苦笑しながら見ている。
     シュンリと目が合うと彼は冗談っぽく眉を寄せる仕草をした。
    「先生たち。こんな場所で話すことはないだろ。とりあえず車に乗りなよ」
     運転手の男が言った。
    「古代人様に水をわけてやってもいいかい、ヤール先生」
    「あぁ、もちろんだ」
     水筒が手渡される。
    「ほらよ古代人様。俺はトコリで荷運びをしているキルンだ。キルン塔のキルンだよ」
     運転手の男が言った。
    「ありがとうございます」
     一口飲むとそれはちゃんと水の味がした。
     ミオの家で飲んだ水はろ過が必要だったのだ。
     乾いた喉に生き返る心地がしたが、シュンリはすぐにむせ込んだ。
    「おそらく、口から飲む事が久しぶりだからです。身体の機能が完全に目覚めていないのだろう」
     ヤールはそう言うと、シュンリを車の後部座席に座らせた。
     それでも喉は乾いていた。
     一口二口と飲んでいくとむせることなく喉を通り、いくらでもいけるようになった。
     シュンリはここで始めて自分が生きていた感覚を取り戻した気がした。
     水を飲みながら彼らのやりとりに耳を傾ける。
     少しの間聞いて分かったのは、彼らの言語は隣国のやや強い言い回しと東洋由来と思われる単語の
     混ざったようなものだった。
     この地方独特の訛りはまるでなくなっている。
     言葉を聞いているだけで自分が知っているコーデリテとは違うものになっているとわかる。
     彼らは至極丁寧に話そうとしているのがわかるが、言語全体がやや強い、きつい印象を持つようになっている。
     一方自分の言葉はかつて他の言語圏の者たちが「寝言のような言語」と表現したように聞こえているだろう。
    「……目を覚ましたばかりで混乱も多いと思うが、ミオという少女がうちに居たのではないですか」
     ヤールが言った。
    「いいえ、置き手紙に昼には戻ると書いてありましたが、まだ帰っていないようでした」
    「そうですか、電話も繋がらないし様子がおかしいと思ってテトゥルに戻ってきた次第なのだが、これは……」
     ヤールは一気に絶望した表情になり携帯電話を取り出し、電話をかけた。
    「衛星携帯電話……」
     シュンリが言うと、彼女は少し笑った。
    「昔の携帯電話はちいさかったんですよね」
     チコは手で四角形を作った。
    「カードみたいな大きさなんて、すぐに無くして逆に不便だったんじゃないですか?」
     彼女の腰にもカラビナにつけた携帯電話と拳銃ホルダーが下がっている。
    「銃は?」
    「必帯です。山賊が出るので。使ったことありますか?」
     チコが答える。
    「いいえ」
    「なら、今度射撃場へ案内しますね。会員になれば撃ち放題なんですよ」
     ヤールが掛けているのは何やら身内のミオではなく、どこかの会社のようだった。
     少し事務的な話をすると、ヤールは重々しい表情のまま携帯電話を下ろした。
    「ミオに掛けなくてもいいんですか?」
     チコは尋ねた。
    「やっぱり繋がらないんだ。シェルターのカメラも停電後はしばらくこちらに情報を送れないから映らない」
    「シェルター内の映像と同期が出来たのか、それ。俺たちでも覗けるのか?」
     キルンが言う。
    「一部しか映らないけど、町役場の監視カメラからは見れるわ。一応テトゥルシェルターは最寄りの街として
    トコリとも繋がっているからね。だけどそこと同じで一般には公開されていない。それに一日中監視している
    わけでも当然無い。だからシュンリさんの事までは伝わらなかった。……シビラ関係に伝わって大騒ぎになる
    ことを避けたのですよね」
     チコはキルンに目配せした。
    「そうだ。ミオ一人に管理を任せる事について、トコリの者たちでさえ色々モメただろう。
    目が入る事で緩衝を避けたというのもある」
     ヤールは食いつくように言った。
    「私たちは別に、彼女を信用していないわけではないですよ。上司の話では、彼女は毎日同じ時間に来て
    掃除をしてるとか、真面目なモドキだって認めているくらいですから」
    「モドキ……その言葉は二度と言うな」
     ヤールは静かに怒号を飛ばした。
     フォローするつもりだったが、かえって彼の苛立ちを助長させてしまったらしい。
     チコは半分苦笑したような表情で小さく「ごめんなさい」と呟いた。
    「まあまあ、この時代に古代人が生きているってだけで俺は凄い経済効果を生むと見た。
    凄いニュースになるなあ、ヤール先生」
     キルンがわざとらしく声を上げる。
    「あぁ……だけど、シビラ……寺院のセクト集団が怖い。中央へ報告が済むまで内密に願いたい」
    「シビラねえ。わかったよ、山に誓おう」
     三人の様子を見るだけで、150年前の社会も生活も大きく変わってしまっているとわかる。
     時に名を馳せた中央クロノザのラデンといった巨大ビルディングや大きなターミナル、国会。
     全てスラムの森に消化されたのだろう。
     かつての自分の上司が、あの森にいつか足元をすくわれるのだと言っていた事を思い出す。
     残っているものを数える方が早いだろう。
    「今、クロノザには何があるんですか?」
    「それなら、あなたの話を聞いて私たちが答える事が一番いいと思います。私たちは滅多に中央の方へ
    行かないし、今の様子しか知らないので」
     チコは言った。
    「歴史は?」
    「書いてある本によってまちまちなので正確な事は伝わっていないんです。トコリへ戻ったら是非資料館へ
    立ち寄ってください。私たちもパーティを開きますので!」
     時が経ったのだから、自分たちの事が広く知られていても仕方ない。
     「古代人」とまで呼ばれ崇められることになるということも。
     話を聞くにあの時代以降、自分たち以外に冷凍睡眠をした物は居ないらしい。
     コーデリテは広い国ではない。
     身動きがとれなくなるのはごめんだが、キルンの言う通り「古代人」としての知識は
     この後退した文明には妙薬になるのかもしれない。



     車はそのままシェルターヘ向かっていた。
     ミオを迎えにいくためだ。
     長い間手入れされず穴だらけになったアスファルトの道路をガタガタと進んでいく。
    「おい、ヤール先生、さっきから大丈夫か?」
     しばらく無言だったヤールにキルンが声をかけた。
     ヤールはハッと顔をあげた。
     シュンリに色々話しかけていたチコもふとヤールの方を見やる。
    「キルン、トコリに戻ってもこの事態は街の連中には漏らすな」
    「ああ、だからそれはもう約束しただろう。事態って何だ? シュンリの事だろう」
     キルンの呆れた表情がフロントミラーに映る。
    「違う、解凍がもう、始まっているかもしれない」
     ヤールは静かに告げた。
    「なんだって?」
     キルンが声を上げる。
    「この季節はすぐに腐る……頼む。今朝停電があったんだ。それから、電圧不足で解凍されたのかも……。
    それでミオは、電話に出られない程処置におわれているのかもしれない……。そ、そうだ電話だ」
     ぶつぶつと呟きながら、ヤールは携帯電話を手に取った。
     何やら深刻そうな内容で職場と話しはじめた様子だが、それを意に介さないチコの質問攻めと山道を
    進むガタガタ音で聞き取れなかった。
     丘陵を登り門扉を通り抜けるとレンガ造りの事務所が見えてきた。
     シェルターは、この広大な設備の一角にある建物を改装して建てられた。
     一際目立つのがレンガ造りの乾燥炉だ。
     だが、周囲は見るからに無人で近くまで来たというのにピートの燻された香りもしない。
     建物の外観や設備は元のまま、何も改められていないようだ。
    「工場は今……動いていないんですね。だけど、昔のままだ」
     敷地内は落ち葉を集めた山が数ヶ所にあり人の手の届ききらない様子が見て取れた。
     そうだ、ここ一帯この時期は緑の芝が広がっていた。
    「文化財なので地元の人たちも大事にしていて、年に何回か有志を募って掃除をしているので
    中はとても綺麗に保存されているんですよ。中にあった資料はここが国営になった時、寺院側から
    受け継いで、現在は中央にあるそうです。なので工場もあなたがたの手にかかればきっと再開出来ます」
     チコは自慢げに鼻を鳴らす。
    「そういえば、キルンというのはファミリーネームですか? さっきキルン塔と言ってましたけど、あれの事ですよね」
     シュンリはレンガ造りの建物を指さした。
     彼の問いにキルンはにやりと笑った。
    「そうだよ。俺のご先祖はウイスキー工場のキルン塔(大麦麦芽を乾燥させる乾燥塔)担当だったらしい。
    担当かなんなのか本当か知らないが、ヤール先生もテトゥルに住んでるからファミリーネームがテトゥルだ。
    そういえば古代人様はなんて言ったっけ」
    「ランドスタイナーです」
    「さすが古代人様。大層なお名前だ。とくにコーデリテの人名はあっちの国だったらここで
    こっちだと思ったらあっちで、暗記が大変で歴史の勉強には苦い思い出があるなぁ。今は簡単でいいだろう」
     キルンは声を出して笑った。
    「ちょっと、キルン、さっきから歴史の重みがわからないようね。言っておくけど彼はウイスキー工場の
    オーナーだった人よ。あなたのご先祖だって彼に雇われていたんだから!」
     後部座席からチコが彼を小突く。
    「俺にとってはここでウイスキーが作られていたのは昨日の事です」
     彼の呟きに二人は「なるほど」と頷いた。



    「あれはミオのだな。よくあんなので山道を登るよなあ」
     キルンが指をさす。
     シェルター建物の入り口付近に黄色いスクーターが停めてある。
    「時々動かしてやらないと駄目になると言いつけてある。ここへは必ず徒歩のはずだが、
    こういう事態だ。急いで様子を見に行ったのだろう。彼女はここでの管理に何より使命感を持ってる」
     ヤールが言う。
     キルンはスクーターの隣に車を停めた。
    「なんだかやっぱり変な感じね」
     チコが眉をひそめる。
    「キルン、ちょっとエンジンをとめてくれないか? いやに静かなんだ」
    「あぁ」
     エンジンが止められると全員が耳をそばだてた。
     静かだ。
     僅かに吹いている風に木々が揺れる音ばかりだ。
    「……稼働音が聞こえない」
     ヤールは自分の呟きにぞくりとし、顔をあげた。
    「そうだ、シビラだ。留守に乗り込んできた。それで解凍を……。だめだ、中にはミオが……」
     言いきらないうちにヤールは車を降りると、それにチコも続いた。
    「私も行くわ、そのための視察なんだから」
     にこやかにしていたチコの表情も真剣なものに変わっている。
    「そんなもの中止だ。非常事態かもしれない。一度解凍が始まると元に戻すことはここでは出来ない。
    ミオの事も心配だ。チコ、君は役場の人間と医者をここに呼んでくれ」
     ヤールはそれだけ告げると建物の脇の鉄格子に手をかけた。
    「おい、先生、シュンリはどうするんだ」
     キルンが追いかけヤールの肩を掴む。
    「こんな所でお待たせさせる必要は無い。うちまでお送りして彼の側ついてさしあげていなさい」
     ヤールは向き直り二人に目配せをした。
     そして最後にシュンリの前に来て頭を下げた。
    「申し訳ありません。不手際が生じたようなのです。中の様子を見てくるので私の家でお待ち下さい」
     ヤールはシュンリの目を見なかった。
    「稼働が止まると言うことは、解凍が始まるということでしたよね。それなら俺も行きます」
     シュンリの問いにヤールは顔を上げ、険しい顔をした。
    「中で何かが起こっているかわからない以上、安全管理上それは出来ません。申し訳ありません」
    「ちょっと、ヤール先生!」
     彼女が声を上げるのを振り返りもせず、ヤールは扉を開け奥へ進んで行った。
    「ったく……」
     チコはヤールの言いつけどおり役場に電話を掛け終わると苦い顔をした。
    「モドキの事になるとああなんだから。さっきから彼女と古代人どっちが大切なのかしら。
    高いお金払ったのはわかるけど……」
     チコはぶつぶつと毒づいた。
    「モドキってなんですか? それであの人は怒っていたようでしたが」
     シュンリが尋ねた。
    「あ、えっと、……ミオは人造人間なんです」
     一瞬で顔をつくり彼女が答える。
    「人間もどきのモドキだろ、な?」
     キルンがチコを睨む。
     チコは眉をひそめた。
    「人間は、核戦争で男も女も病気にかかりやすくなったり、生殖能力が弱まってしまったんだ。
    そういう力を強化されているのが人造人間だ。彼女達の胎内でしか人間は増えることが出来ないんだ」
     キルンが付け加える。
    「全ての人間が?」
    「4割くらいがそうです。卵子も精子も弱くて胎児が育たないんです。それに人造人間が人に近い知性を持つように
    なってきてから、ますますこの時代はおかしくなっています。だけど、ヤール先生はここだけの話なんですが、
    奥さんも持たないでミオを娘のようにしているんです。あの溺愛ぶりはいつか結婚しそうな勢いよ」
     チコが平然と言った。
    「差別意識も生まれたのですね」
     彼の言葉に彼女は少し顔を赤くして何か言おうとしたが、キルンは黙ったままだ。
    「あの人がどうなのかは知りませんが、役割の問題でしょう。現在の価値観がどうなのかはわかりませんが」
     シュンリは淡々と言った。
    「人造人間は自然の流れを逆らってると思う。彼女たちの時代はもうすぐ終わるでしょう。別の可能性がみつかったので」
     チコはすがるような視線でシュンリを見た。
    「古代人は、人間としての力が一番強かったって聞いているわ。あなたは人類の希望なのよ」
    「俺は未来人と子孫を残す予定はありません。ヤールさんを追います」
    「待ってください、なんだか危険な感じがします、一緒に待っていましょう」
     チコはシュンリの手を払い車を降りた。
    「俺の恋人が中に居る。解凍が始まったのなら行かなくては」
    「こいびと……」
     シュンリは車のドアを閉めた。
    「おい待て」
     キルンが車から降りて呼び止める。
    「このあたりは安全だが、都市部への道は治安が良くないんだ。だからこれを積んでる。中で何かあった時の保険だ」
     男は、釘の打たれたバッドをシュンリに渡した。
    「こんな物騒な物、動きにくくなるので結構です」
    「そう言わず、こっちも持って行ってくれ」
     キルンは押し付けるようにシュンリにベルトを渡した。
     拳銃もついている。
    「一つ忠告だ。ここいらの山賊もセクト集団も、話の通じないやつばかりだ。命を守ることを考えるんだ。
    それに、俺たちの時代はあんたの時とは少し事情も違うことだろう。チコは過去に人造人間と両親を
    巡って色々あったらしいんだ。あいつは4割と言っていたが実際は6割くらいが人造人間の世話になっている。
    恋人を守りにいくなら止めはしないが、みんなが崇拝する古代人さまを丸腰で危険な目にあわせるわけにもいかない。
    ベルトに下げていけばいいだろ。ミオと落ち合ったら銃は渡してやればいい」
    「……ありがとうございます」
     シュンリは迷惑そうに受け取った。
     ふと金属音がしたと思い足元を見るとキルンが少し笑ってズボンの裾を上げた。
     新品の義足だ。
    「今はまだ慣れなくてアクセルとブレーキを踏む以上の力にはなれない。すまないな。これも現代病の一つだ」
    「いえ、お心遣いありがとうございました。ところで、シビラ教とはなんなんですか?」
     キルンは、「あー」と言った。
    「山岳信仰から派生したあんた達を目覚めさせる事に反対していたセクト教団だよ。ここに開祖が
    眠っているとかなんとかって噂が立った事もあったな。ヤール先生は10年くらい前に一度襲われたらしい。
    だが、今は全然聞かない。トコリにもそっちの寺院はあるが、穏やかなもんだよ。というわけで俺は山賊を疑う」
     キルンは煙草を一本渡した。
    「それで少しは空腹も紛れるだろう」
    「貴重品ですか?」
    「いいや、いくらでも手に入る……そうだな」
     キルンは少し唸ると、シュンリにライターと一緒に一箱手渡した。
    「お守り代わりだ。何もしてやれずにこのまま古代人さまを送った事が知れたら街の女に殺される。そっちの方がこわいよ」
     彼の戯けには付き合わず、シュンリは煙草をズボンのポケットに突っ込んだ。
    「連絡したからしばらくしたら応援が来るはずだ。まあ、何も無いことを祈るよ」
     シュンリは頷くと、すぐに踵を返しヤールを追いかけた。

     急いで車を飛び出した割には、ヤールはまだ走って追いつく場所に居た。
     何やら片足をかばったような不自然な歩き方をしている。
     どうやら例の現代病のようだ。
     まだ彼は義足ではなさそうだが。
    「ヤールさん」
     ヤールは驚いた表情で後ろを振り返った。
    「な、シュンリさん……なぜ付いてきたんですか」
     ヤールはギョッと目を見開き、シュンリの腰に視線を落とした。
     片手に釘バットを持っている。
     拳銃まで。
     体格的には大分小柄な彼の姿が禍々しい物に見える。
    「それは……戦う気なのか?」
    「中で何が起こっているのかはわかりませんが、あなたの言う危険な団体が相手なら、自分たちも
    身を守るためにそういう事も必要になるかと思います。運転手の助言で借りた物ですが」
     彼の言葉にヤールが真顔に戻る。
    「……いいや、ミオの家に戻ってくれないか、あなたは二週間も寝たきりだった」
    「二週間も……? その割には身体が動く」
    「動けるのは筋力の減退を防ぐ薬の効果だが、それでも普通に動けるのは体が
    感覚を忘れている一時的なものだ。このまま無茶をしたらあちこちの筋をズタズタにする。
    どうかうちでお待ちください。これは我々の不手際の問題です」
     ヤールはシュンリの肩を両手に添えた。
     この国では強く勧告・慫慂する時に、このような所作でもって相手に訴えることがあった。
     海外の者たちには酷く嫌われた振る舞いではあったが、シュンリは妙な懐かしさを感じた。
     触れられた肩には遠慮を僅かに越えた力がこめられている。
     身長差があるため、上から押し付けられるように体重もかけられている。
     ここで相手に折れない場合、相手の腕を振り払い、肩を掴み返す。
     それが転じて、コントのような掴み合いの喧嘩になる場合もあちこちで聞く。
    「そうですか」
     シュンリはヤールの手を振り払った。
    「だけど俺は行きます。そして知っている事を全て説明して頂きます」
     同じ口調で告げると、足の悪いヤールを追い抜きシュンリは回廊を進んでいった。
    「管理人専用のエレベーターがある。裏から入れば安全だ」
     ヤールは観念とも言える口調で答えた。
     彼は何かを隠している。
     チコが言ったようなミオを心配しての事だけではないとシュンリは思った。
     その時、携帯電話が鳴った。

     

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