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    2―8 海に沈んだ国道

     

     

    2―8 海に沈んだ国道


     やっぱり死にたくない。
     思いとは裏腹にミオの身体は水中の中で藻掻いているようにもたついていた。
     ゾンビは両手を羽のように広げミオに襲いかかってきている。

     死ぬ……。
     だが、数秒後ではない。
     数秒で死ぬなんて事はありえない。
     肉を食いちぎられ、なじられ、ボロボロにされるんだ。
     長い苦しみと痛みを味わいながら……。

     ──嫌だ。痛いのは嫌だ。

     ミオは背中に熱を感じた。
     シュンリがぴったりと後ろにくっついている。

     ──何をしているの?

    「ナイフを握りつづけて」
     シュンリは耳元で低く呟くと、固まって動かなくなったミオの右手首を掴んだ。
     すぐに何も持っていない左手も固定され、二人羽織の体制のまま二三歩前に進む。
     目の前にはゾンビが居て、まさに自分たちを襲おうとしている。
     ミオが息を飲みこもうとした時。

     後ろにぴったりついていたシュンリがミオの腕を横に薙ぐように動かした。

     ──?

     

     腕の先のナイフが硬い物に当たる。

     その直後、ねじる様な動きの後にズブリと肉を刺す感触が伝わって来た。

     目を開けると自分が握るナイフの柄と喉がぴったりとくっついたゾンビがビクビクと痙攣している様子が飛び込んできた。
     シュンリがミオの腕を使って刺したのだ。

     それを再利用するために、今すぐ抜く必要がある。

     

     ――ああ、やっぱり

     

     シュンリはすぐさま引き抜くとミオの身体ごと90度方向転換した。
     そこには三体目のゾンビが居た。

     

    「やっ」
     

     情けないか細い悲鳴が漏れる。
     シュンリに振り回されながら、ミオの腕にも肉を刺し抉る感覚が流れてくる。

     

    「はなしてっ……」
    「フォークダンスか何かだと思えばいい」

     ふざけたことを!
     いくらなんでも、あんまりだ。
     これではただの操り人形だ。
     ゾンビはまだ居る。
     シュンリはミオの手首を無理やり掴みなおし、突き上げるようにゾンビの胸を刺した。
     普段動かない向きに関節を動かされ、ミオは鈍い痛みを感じた。
     しかし、そんな痛みはすぐに上書きされた。
     肉の中に沈んでいくナイフの感触。
     真っ赤な鮮血の生温かさに。

     



    「ギャアアアア」
    「うわああああ」

     ゾンビとミオが叫び声をあげた。
     ミオの絶叫に構わず、シュンリは彼女の腕を強く制している。

    「前!」

     さらにそのまま2、3歩押されるままに進み隠れていたゾンビを刺す。
     これで4体目だ。

     もう、こんなものは見たくない。

     目を閉じた瞬間、ミオは背中を突き飛ばされ──コンマ数秒後に何かとの衝突を感じた。
     驚きのあまり力が抜け、顔面の緊張もゆるむ。
     うっすら開けた視界の端に──……首に致命傷を負ったばかりのゾンビの姿があった。
     それがもつれるように自分と一緒に傾き沈んでいく。

    「あっ」

     腕で守りきれず地面に顔面を打つ。
     ミオはその痛みにこれまで辛うじて残っていた気力の全てを削がれた。
     何が起こったのかよくわからない。
     上体を起こし、彼を探す。
     シュンリの息遣いと怒号、もちろんゾンビの咆哮もまだ聞こえていた。
     恐る恐るそちらの方を見ると、妙な方向に首の曲がったゾンビが彼の足元に倒れた所だった。
     そしてその時、ミオは彼に突き飛ばされ倒れた事を悟った。
     守られたのか、それとも大掛かりな武器にされたのか。
     今倒れたゾンビの他に影は無い。
     そこには彼の姿しかなかった。
     ミオは彼に声を掛けようとした。
     が、シュンリはバットを拾い、倒れたゾンビの後頭部を殴打、新たな追撃を喰らわせていた。
     どう見てもダメ押しだ。
     メキメキと骨を砕くお馴染みの音、当たり前のように飛び散る脳漿と血。
     もう一匹息のある者も隣で身悶ている。
     シュンリはゆっくりとそちらに近づいて行った。
     息をあら上げ肩で呼吸をしながら悶え苦しむゾンビの喉元を力一杯踏み潰した。
     悲鳴に近い叫び声。
     ダメ押しすぎる。

     

    「やりすぎ……!」
     

     思った以上に掠れた声しか出なかった。
     声が届いたのか、彼は踏みつけるのをやめミオの方に向き直った。
     服や髪に飛び散った血と脳漿が、彼をより不気味な男に仕立て上げている。

     

    「実験は大切だと思いませんか」
     

     シュンリは手で血糊を拭いながら起き上がれないミオに手を伸ばしてきた。

    (そんな手、握れない……)

     気が遠くなっていく。

     ミオは今度こそ気を失った。





     国道がまだ完全に水没する前だったから、その記憶は十年前のものということになる。
     ミオはトラックの荷台から水の浸かった道路を見ていた。
     側にはヤールが居て、地図に赤でチェックを入れていた。
    「今は何時だ」
     ヤールはそう尋ねた。
     ミオは「三時四十分だよ」と答える。
     言われた時刻をメモするとヤールは小さくため息をついた。

    「おばあちゃんに時計の読み方を教えてもらったの」
     ミオは得意気に言ったが、そこにはいつもの優しい笑顔は無かった。
     「そうか」と言ったきり、ヤールは道路の先を見つめていた。
     やはり、昨日の事が原因だろう。
     ミオはその場に固まり、俯くしかなかった。
     しばらくの沈黙のうち、風が凪いだ。
     我慢が出来なくなってミオは顔を上げた。
    「ヤールさん」
    「なんだい」
     ヤールは普段どおりの顔に戻っていた。
     それが急に悲しく、申し訳なく思え、ミオの顔はどんどん熱く火照っていった。
     涙が溢れていく。
    「母さんが死んだのは私のせいだ」
     口から零れたのは意図していたのとは全く別の言葉だった。
     それでも、もう止まらなくなっていた。
    「母さんが死ぬ前、酷いこと言っちゃった。それで私、喧嘩しちゃったの。
    それで母さんは次の日死んじゃったの」

     「母」が亡くなってしばらく経っていた。
     それまで自分は何をしていたのだろう。
     「働かなくては」。
     昨日、ミオは自分の世話をしてくれるヤールに料理を振る舞おうとした。
     そして一人で近くの山まで山菜を探しにいった。
     近所のおばあちゃんと一緒に行った事を思い出しながら。
     根の色の見分け方、葉のかたち。
     ミオは知っていたはずだった。
     だが、その中に毒草が混ざっていた。
     調理に取りかかる前に台所を覗きに来たヤールが気づき事なきを得たが。
     ヤールは、自分もここに来たばかりの頃はよく間違え、おばあちゃんに聞いて分別してもらったものだと
    慰めてくれたのだが、もしもこれを自分たちが口にしていたらと思うと震えるようだった。
     ミオはその日、目が腫れるまで泣いた。
     もともとすぐに大泣きする子どもだったが、「母」が亡くなった日から不思議と涙は出ていなかったのだ。

     人造人間は寿命を迎えると、その数か月前から認知機能が急激に低下し最後は動けなくなって死んでしまう。
     彼らを作っている側や、この社会を維持する人間側の都合で、そうなるよう生まれながらにそのような機構が
    組み込まれているためだ。
     ミオは「母」と血のつながりというものがあるわけではない。
     人間社会の基準に当てはめれば代理母とか、養母という位置だ。
     実際彼女は自分が産んだ本当の子どもの幻影を追って、最後は手頃なサイズの枕や人形などを絶えず
    抱きかかえる事で安心するようになっていた。
     ミオは、そんな母とろくな関係も結べず近所にいたお婆さんや孤独な学者のヤールに愛を
    求めて生きるようになっていた。

     この「人造人間」というシステムにも大きな問題が生じていた。
     彼らに人間同等の知能が与えられるようになったのは母の世代からだった。
     しかし、その代はろくな愛情を受けて育った者が少ない。
     社会の偏見や彼らの存在を低く位置づけるこれまでの習慣は根強い物があった。
     役目を終えた人造人間に寿命が訪れるまでの間、新たな人造人間を育てさせるという構図があったが、

    それは不完全なものだった。
     彼らは人造人間の子どもを育てる代わりに住居や金銭の保証を受けられたが、愛を知らない者に子育ては不可能に近かった。
     多くの人造人間達が用済みにされるのも、基本的な人格が形成されないまま育ってしまった事で社会に適応出来なかった。
     子育てを放棄したり、ろくなケアをしないまま死なせてしまう。
     男性人造人間はすぐさま戦地に駆り出され、その衝動性と粗暴さから進んで地雷源に突き進んで行った。
     質の低い愛では、人は育たない。
     そのような理由から人造人間さえ、その数は減っていったのだ。

     ミオの世代から、彼らに人間と同じ知能や情が備えられている事や、人間よりもずっと短い寿命が定められている
    事に意義を唱える人間達が現れ始めた。
     寿命やアポトーシスの事は、現在はどうなのかわからないが、彼女、彼らを地域で守ろうとする流れが生まれ、
    ミオとその「母」はヤールたちと関係を結べるようになったのだ。
     そんな流れがなくとも、ヤールらは彼女らを庇護しただろうが。
     ミオがそんな事情を知ったのもヤールの書斎の本や、時たま訪れる彼の教え子による話からだった。
     人造人間が人間達にどこか格下に見られている事、世話になっている身分である事を知ったのもその時だった。

     「母」は人造人間の中でもとりわけ短命だった。
     そこに愛着関係など殆ど無かったと言っていい。

    ──母を失った庇護の無い者は早々に養成施設へ引き渡される。

     ミオはヤール達に見放されないために必死だった。
     そんな中、毒草を調理しようとしてしまった事は大きな痛手であり……守ってもらうために役割を確立
    すべきだと幼いながら自覚していた彼女にとっては絶望的な失敗だった。

     だが、本心は──
     そんな算段──(という程の意識は無かったが)、はどうって事は無かった。
     認知機能が衰えてしまった母に酷いことを言ってしまったまま別れてしまった事が何より辛かった。
     一人の生命を、死に追いやってしまった。
     自分は最悪だ。
     母も辛かっただろう。

     私がその死に目に追い討ちを掛けたのだ。





     数十メートル先はまだ陸地が続いているように見えた。
     荷台から降りて雑草でぼうぼうになりかけた道路を歩いてみる。
     道が泥でぬかるんでいた。
     一度ヤールの方を振り返る。
    「そこから先は草がもうない。道路も泥でぐちゃぐちゃでよくわからないだろう?」
     後ろからヤールが声を掛けてきた。
     確かに、今まで歩いていた道のすぐ先は草は生えていないようだった。
    「こっちにもどって来なさい。これからあっという間に海が来るから」
     ミオは飲み込まれてしまいそうな気がして小走りでヤールの元へ戻った。
     履かされていた長靴は跳ねた泥で汚れていた。
    「ここはもうすぐ海の底になるから、近づいちゃ駄目だよ」
    「海じゃなくて大きな水たまりだよ。それにこの長靴だったら向こうにいけそうだったよ」
    「水を舐めてみなさい」
     言われるままにすくった水を口に持っていくと、塩辛い海の味がした。
    「海の味のする水だ」
     ミオが目を白黒させると、ヤールはやっと笑った。
    「この道を通るのはもう止そう。ここより上の道があるのを覚えているかい」
    「蛇が出そうな、黒い地面の道?」
    「あそこは比較的新しいアスファルトの道だった。一年もしないうちに草だらけになってしまったけどね。
    人の手入れが無いと、人工物はすぐに駄目になる。今度からあの道を使う他無いな」
     母さんと、時々通った。
     道は出来立てで、アスファルトの道路は恐ろしいほど黒く艶やかだった。
     人工物である事をありありと主張したその道路を、母の手を引いて歩いて行った。
     舗装されていない道や、石や砂利でボコボコになった地面の感触しか知らないミオにとっては、
    足に感じる固い水平は、とにかく新鮮な物のように感じたものだった。

     それから何も言わず、二人で一時間ほどの時間をそこで過ごした。
     風が出始めミオはヤールに肩掛けを掛けてもらった。
     だんだんと水位が上がり、大きな水たまりだと思っていた水没箇所はいつの間にか湖程に広がっていた。

    「ヤールさん、海が道路を飲み込んじゃった。あの水たまりは本当に海だったんだね」
    「あぁ。この光景は、君にはどう映る?」
    「どうって?」
    「悲しいか、きれいか、どっちの感覚にちかい?」
     そのどちらもだと思った。
     なぜそう感じたのか当時は理由もつかなかったが。
     当たりが暗くなっていくと、徐々にその感覚もぞっとするような寂しさ、恐れに変わって行った。

     ──こわい。

     その言葉を発する前にヤールが煙草を出した。
     そうだ、あの時ヤールはよく煙草を吸っていた。

    「この光景はけして怖いものではないよ」
    「……」
    「こうやっていくつもの街や都市が海のそこに沈んでしまったが、それでも技術や知識は
    途切れながらも発掘されたり継承されてきている。今はそれを目覚めさせる準備期間だと
    私は考えているよ。今は技術の問題と言うより……人手不足だ。今まで人類は、生きて
    数を安定させる事で手一杯だった。これからシェルターの古代人が目覚めれば、この国も
    沸き立ち、文化面に目を向ける人もさらに増えていくだろう。……もちろん、おばあちゃん
    のように、このまま終わりを受け入れるという考えもあって然りだ。ミオはどうなのかな」

    「私は……」

     ──悲しくて綺麗で、なんだかやっぱり怖いよ。

     幼すぎて言葉にする術を持たなかった自分にその光景は、恐怖と悲しみの混ざったモノとして刻まれた。
     今でもその光景は当時と同じ感情を伴って再生される。
     思えばあれは、国道が通れなくなった時のための迂回路を地図に書いていく作業だった。
     それにミオはついて行ったのだろう。
     悲しく美しい原体験の一つだ。

    「古代人の人たちが起きたら、一緒にいろいろなものを食べて、見たり回ったりして
    楽しく過ごしたいな。浜辺でキャンプファイヤーをして踊って、それからウイスキー工場の話を
    するの。どうやったら美味しいウイスキーが出来るのって!」


     



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    posted by 小説あらすじ |